先日、神奈川の女子高生が電車に身を投げ自殺したと、報道された。
その様子をスマホでライブ配信したらしい。
動画も出回っていたので、見た。
実にあっさりしたものだった。
彼女がこうまでして、何をこの世に残したかったか。
残念ながら、当事者でもない私には分からないことだが、多分、自分のような不幸な人間を増やしたくない、という願いよりは、
自分に危害を加えたものたちへの怒り、憎しみ、の方が大きいだろう。
これでも見て、死ぬほど後悔しろ、ということだ。
彼女のためにも、ぜひそうなって欲しい、と願っているが、
残念ながら、私の知る限り、いじめた側が、そのことを後悔して自殺した、というニュースは、ついぞ聞いたことがないので、難しいかもしれない。
彼女のTwitterも見た。ここ最近、1日1回は「死にたい」とつぶやいていた。
数カ月程、遡ると、そこでも、「死にたい」「死にたい」だったが、
時おり、
「生きたい」
「何故死なないといけないの」
と、いうつぶやきを見つけた。
まだ、この時は理性が残されていたが、やがて潰され、合理的な判断ができなくなってしまったのだろう。やるせない。
自殺をした人に対し、
「死ぬくらいなら相手を殺せばいい」
「死ぬくらいなら学校やめればいい」
という人がいる。
確かに、死んだら全ておしまいなので、それよりはマシであるというのは、合理的な判断だが、
追い込まれた人間は、そういう判断ができなくなるので、自殺するのである。
私は、自殺しようとしたことも、そう思ったこともないが、鬱状態になった過去がある。
私は、自分は、それなりに明るく、それなりに他人とうまく付き合えるタイプの人間で、
鬱で引きこもる自分、など、想像したことすらなかった。
しかし、連日の激務。(3徹を経験したのは、後にも先にも、あの時だけだ)
理不尽な上司からの指示。
それまで、遅刻すらしたことなかった私が、初めて、ベッドから起きれず、会社を無断欠勤した。
この辺の話は書くと長くなりそうなので、顛末は省くが、
結局、心療内科で、鬱状態と判断され、薬も処方されたが、
「倒れたわけでもないのに、休むわけにはいかない」と、夜の7時頃、急に会社に行って、そのま、朝まで仕事する、なんてことを繰り返していた。
今なら、
「そんなバカなことしてないで、さっさと辞めろ」
「会社なんていくらでもあるし、なんならフリーランスにもなれるぞ」
と思うのだが、当時は、そんな発想も、調べる考えすらなく、
ただ罪悪感と、責任感だけに、追い込まれ、まともな思考もできなくなった自分が、そこにあるだけだった。
そして、辞職した。
その後、実家に引きこもった私に、親の自己破産だの、心筋梗塞で死にかけるだの、色々なイベントがコンボで発生し、
中々に愉快な日々が始まるわけだが、
最終的に、現在は悠々自適な生活を手に入れたので、結果オーライ、と今ならいえる。
山あり谷あり。昔のひとはよくいったもんである。
なので、私には、追い込まれ、まともな判断もつかなくなった人を救うことなど、
到底できないが、
こんな風に、しょうもないブログを書き続けて、それを見た、どこかの誰かさんが、
なんだ、人生なんとでもなるじゃないか
と、ちょっとでも、胸をなでおろすことが出来ていたら。
それはいいことだなと、思うのであった。
では。