責任自分論、という言葉がある。
何かが起きた時、その原因は、「まず自分にあるのではないか」とする考え方だ。
これに対し、責任他人論とは、原因を他者(または社会、システム)に求める考え。
人間というのは、そんなに割り切った生き物ではないので、大体、どちらかに全振り、ということはないと思うが、
それでも、多くの人間が、責任他人論者よりであるのは、確かだろう。
そんなことない、という方は、多分、余程、恵まれた環境にいる。
その巡り合わせについて、親と、頑張った過去の自分に、感謝したらよい。
で、意識高い系のYoutuberやブロガーを見てると、
いかに、この責任自分論の考え方が大事か、ということを、教え込もうとしているものが多い。
これは実に素晴らしいことだと思うが、学生には、まだその重みが分からないだろうな、と思う。
明らかに理不尽な指示や、情報の不伝達。がんじがらめに縛られた状態で招かれた結果。それによって、自分や家族に100%発生する損失。
それに真っ向から向き合う、というのは、それほど簡単なことではない。
人間、余裕があるうちは、誰もが聖人なのだ。
もたらされた結果が、自信の心のキャパを超えた時、人はたやすく、責任他人論者に鞍替えする。
「いいよ、いいよ」と、稟議にハンコを押してた上司が、
事態が悪化した途端に、
「こんなもの俺は認めてないぞ?そもそも、きちんと詳細を私に説明したか?ん?」
となるのは、会社ではよくある光景である。
むかー。
さて、そんなことを言っていても、仕方がないし、責任自分論自体は素晴らしい考え方なので、自分なりに、それを身に付ける方法を書いてみたい。
私がやった方法は、頭の中で、「責任の過失割合」を算定する、というやり方だ。
詳しく話す。
まず、Aというプランがあり、進めていたが、失敗したと仮定しよう。
あなたは、どちらかといえばBプランにしたかったが、上司が熱心にAがいいと勧めるので、しぶしぶ、その指示に従い、行った。
結果、Aは失敗することになった。
さて、この場合、人として心に芽生えるのは、
「だから言ったじゃねーか!」
「俺の意見を聞いてくれれば、こんなことにならなかったのに!」
という感情だろう。
それは普通である。
問題はそのあとだ。
ここで、「でも、俺が進めたんだから、上司は悪くないな!俺が悪い!」
と思えたら大したもんだが、そんなことが出来るのは、イエス=キリストくらいのものである。
そもそも、そんな思考を続けていたら、多分、ストレスで潰れる。
それとは、逆に、
「全て会社の指示でやったことだから、上司や会社の責任!俺悪くない!」
となると、そこで話が終わる。自身の成長もそこで止まる。
なので、ここは、「どっちが悪い」という二元論ではなく、
「どっちが、どれくらい悪かったか」と、まず分解してみる。すると意外とおもしろくなる。
いわゆる、事故った時の、過失割合みたいな考えだ。
今回の場合、確かにBプランは採用されず、Aプランになった。それを承認したのは上司だ。
しかし、Bプランの魅力を、自分を全て伝えきれていただろうか。
この場合、全体を大まかに100、みたいなイメージで頭にもった時、まず、自分はそこが良くなかったな、10ポイント、みたいな考えにする。紙に書き出してみると、よりいいかもしれない。
とはいえ、上司は明らかに、最初からAを推す気満々だった。あれでは、部下としても、中々、別の案を言いづらい。あれは上司として失格だな。10ポイント。
こんな感じで続けていく。
途中で、100を超えるかもしれない。別にいいのだ。適当なのだから。
点数も、全部、自己基準でいい。根拠とかいらん。フィーリングだ。こういうのは、考えすぎると、むしろ間違う。
で、こんな感じで書き出していくと、最終的に、
俺:3割、上司7割、悪いな!
みたいな結論になる。
すると、やはり、自分にも少しは責任があったな、と振り返りができるようになる。
そして、頭を使っている内に、段々冷静になり、最初の怒りが消えていく。
これが大事なのだ。
いわゆる賢者モードみたいなもの。
そして、常に、このようなルーティンを汲んでいると、そもそも、そんな面倒なことをせずとも、
一瞬カッとなる→すぐ、今のは俺2割、相手8割悪い!と判定できるようになる
めでたしめでたし。「責任自分論」のスキル取得、成功である。
ここまで読んで頂いた方はたぶん分かったと思うが、この過失割合の数字自体には、ハッキリいって意味はない。
重要なのは、効率的で、本人にあった、その思考の習得方法である。
だから、何でもいいのだ。
最初から理想を目指すと、大抵の人が、中腹にもいかず、辞めてしまう。
なので、ハードルを下げて、積み重ねることが大事。
そういう時は、思考方法自体を変えること。それが良い。
久々に真面目なブログを書いた気がする。
バランスを考えて、明日は頭の悪い記事を書こう。
では。