なぜ、「資産寿命」を他人と比べ合うのか分からない

人生観・仕事観

最近、ニュースやネットで、よく「資産寿命」なる言葉を目にする。おそらくどこかの広告代理店が錬成した造語だろう。こういったセンスは、相変わらず天才的である。

少し前までは、資産運用会社が騒いでるだけだったが、どうやら国も目をつけたようで、金融庁が、今のままの資産だと君たちやばいよ、と警鐘を鳴らしている。

NHKのニュースでも報道されていた。

エラー|NHK NEWS WEB

かいつまむと、夫婦二人の計算で、老後の生活を30年続けると、約2000万円が必要となる。減少する年金と退職金をベースにした人生設計では成り立たない。ほかの資産をつくっておこう。という事らしい。なるほど。

つまり、フリーランス(予定)で年金もあてにできず、退職金もない私は、野垂れ死ぬの確定ということですね。うわー困ったなぁ。

さて、なぜ国はこんな煽りをするのか理解に苦しむ。まさか世界に誇るJAPANが、年金が極小になってもごまかすために、今から防衛線を張るなんて、小細工をするわけはないだろうし。不思議なものである。

正直、私はこんな試算、何の意味もないと思っている。ハッキリ言えば、一部の人達を不安にさせて扇動しているようにしか思えない。

そもそも、月に生活費がいくら必要か、なんて、それこそ家による、としかいいようがない。誰もが、月に20万も30万も必要というはないはずだ。

私の父は、退職後、知人の連帯保証人になっていたことから、いきなり4000万の負債をかかえ、自己破産した。60歳にして、貯金ゼロでのリスタート。

現在は72歳。今は、月14万円ほどの年金以外、収入はない。心筋梗塞を患い、定期的に病院に通っている。しかし、生活に全く問題はない。

二人の孫に毎年1万円ずつお年玉をあげ、じいじ、じいじ、と毎回なつかれている。週1程度で知人と酒を交わし、趣味のグランドゴルフや動画鑑賞を楽しんでいる。最近はWOWOWとネトフリにも入会した。貯金も少しずつたまってきており、そのうち、数日間の海外旅行に行こうかと計画中である。

充分だろう。これ以上、何か望むことがあるだろうか。

たしかにこれからの世代は、今の父ほど年金はもらえなくなるだろう。国民年金ならもっと必要だ。

しかし、その程度の不足は、自分に必要な分だけ貯金しておいたら良い話である。父の例を見ても、私の生活ベースなら、月に10万以下で充分生活できる。

月に20万も30万も必要だと言っている人達は、1日500円の食費で生活とか、考えたこともないのだろう。現在のドラッグストアや通販、冷凍をフル活用したら、全然余裕で、美味しいご飯が作れるのだが。

IT技術が進化すれば、さらに支出を下げる方法も見つかるかもしれない。ようは「生活スキル」を磨くことが重要なのである。そして、40~50代から、程よい生活に慣れておけばよいのだ。

国や専門家の試算には、「節約」と、幸せの基準は人それぞれ、という視点が抜け落ちている。

そもそも、老後の必要な生活費の平均って、資産家も含めて出してるでしょ?

そんな数字を見たら、裕福な人は、そんな額で足りるのか?と不安になるし、貧乏な人は、じゃあこのままだと生きていけない、と不安になる。実によくできている。

私は、自分に必要な「資産寿命」は、他人と比べ合うのでなく、自分で決めたら良いと思う。

自分の幸せを決めるのも、自分だけなのだから。