社員旅行に行きたくない、と考える若者は多いが、それはごく普通のことである。
心配しなくてよい。
オジサンらしく、
「最初は嫌かもしれないけど、行ってみると楽しいぞ!」
とか
「普段話さない人とのコミュニケーションも大事だぞ!」
とか、助言したい所だが、かなわない。
私自身、20回近く社員旅行に行って、そう感じられなかったからだ。かけらも。
理由は分かっている。
社員旅行が、「社員」のためではなく、「会社」のため。ひいては、「社長」のために企画されていたからである。
そんなもの、楽しいわけがない。
13年ほど前、幹事をした時は、社員旅行に関わる政治的な闇を垣間見た。
当時、既に社員旅行に反対の人間は多く、いよいよ存続が危ぶまれる。そんな時だった。
私は幹事に任命された。
通常、社員旅行の渡航先は、3案ほど幹事が考え、社員会での採決によって決まるのだが、この年は勝手が違った。
社長室に呼びだれた私は、暗に指令を受けた。
それは、「社員旅行の渡航先を、韓国にせよ」と、いうものだった。
韓国にある取引先(候補)に良い顔したい。という、完全に社長の都合であった。
しかし、実にめんどうなことに、それを私に直接いうのではなく、会話の端々に匂わせるだけで、あとは、他の案を明確に拒否する、という流れである。
いわゆる「忖度」。
みえみえなので、茶番につきあうのも疲れる。お望みの言葉を出し、ではどうやって、韓国を渡航先にするか。それを考えることになった。
輪をかけて、めんどくさいことに、私のいた会社では、社員旅行は、会社と社員会(強制徴収)の折半だった。つまり、両方の承認が必要なのである。
ふつうに、韓国を交えた3案を出した場合、他案の票が採用されると、その後の展開が、非常にマズイことになる。
迷った末、私は、「韓国旅行の賛成か否か」という、採決をとることにした。
現在、社長が韓国にお熱なのは、中堅以上の社員なら、誰もが知る所だった。
ので、取り繕うのはやめて、ハッキリ、「韓国に行きたいか、そうでないか」。つまり、「社長の意向に従うか、そうでないか」を聞いた方が、いいと思ったのだ。
賛成意見が多ければ、解決。
反対意見が多ければ、やはり海外だと難しいですね、という流れにもっていき、改めて採決をする。
最悪、今年は中止でもよい。
これまでも、数年に一回は、社長の気分で中止になったことがあった。
皆も喜ぶだろう。
そして、採決。
結果は、「反対」の圧勝。実に8割以上が、社長にNOを示した。
予想通りだった。
その結果を持ち、社長に報告した。
社長の返事は、私の予想を超えていた。
色々、余所行きの言葉を述べていたが、結論からいえば、
「なかったことにしろ」
これであった。
投票して、皆の意見を聞いたにもかかわらず、なかったことにせよ。と。
これが権力者の思考か・・・と、20代中盤だった当時、実に面食らったものだった。
そして、当然、社長から案はでない。
全て、幹事が考えよ、ということだ。
しかし、実際に採決をしたのだから、これを覆すことなど出来ない。
今なら、もう少し良い方法も思いついたかもしれないが、当時の私には、無理だった。
各所属長に相談に行き、皆が苦虫のかみつぶした顔になった後、出た結論は、「条件を緩和した再投票」であった。
結果は、惨敗。
というか、ここまでしつこければ、社員にも意地というものがあるだろう。
「何故、何度も投票するんだ」「馬鹿なのか」と、罵声を浴びせられた。大の男が、トイレで悔し涙を流したものだった。
まだ、何も知らない若者に、そういわれるなら、納得するのだが、ブーイングしている人間の殆どが、年長者だった。つまり、社長の意向で動いていることなど、充分に分かっているにも関わらず、わざとやっているのである。
くだらない人が世の中にはいるのだと、強く思った。
書き始めてなんだが、このストーリー、続けていると長くなりそうなので、ここで終ろうと思う。ドロドロの話が続くので、気が向いたら、また書くかもしれない。
結果、再採決の結果にも、納得しなかった社長と、一部の上層部が戦争を始め、社内は混乱。
最終的に、賛成した人間と同情した人間。全社員の約半数だけで、韓国旅行は実行されたのだが、それによって、社員間に刻まれた傷跡は深く、火種はくすぶり続けた。
なんのための社員旅行なんだっけ?
さて、色々いったが、個人的に社員旅行自体は否定しない。
少人数で、職業意識の高い人たちが、さらに団結を深めるには、あっても良いのではなかろうか。
が、
普段とれてないコミュニケーションが生まれるのを期待したり、社員のだれも望んでないのに、やる社員旅行は、辞めた方がいいし、
行かずに反対した人間も、ふつうのことなので、気にする必要はない。
そう思っている。
では。