私は自慢ではないが、字が汚い。相当なレベルだ。
ブログだと、字が汚くて読めない、と言われる心配がないので、とても助かっている。
もう時効だと思うので、カミングアウトするが、大学生の時、友人と結託して、テストをカンニングしたことがあった。
その際、頭のいい奴→友人A→さぼてん→友人B→友人C→・・・
といった感じに、答案をまわしたのだが、
私を経由したことで、以降は、「汚すぎて答案が読めない」、または、「汚すぎて読み間違える」という事態が発生し、友人達から袋叩きにあった。理不尽すぎる。
なお、友人も私も、結果は仲良く「不可」だった。天罰だろう。違うか。
さて、私だけでなく、字が汚い大人は山ほどいるわけだが、
困ったことに、大抵が、申し訳なく思っているのではなく、ある種、「誇り」のように、感じているから始末に負えない。
これも、メディアが、「理系は字が汚い」とか、「頭のいい人は字が汚い」とか、テキトーなことをぬかすからである。
おそらく、自分の観測範囲では、錯覚資産も手伝って、そういうこともあるかもしれないが、全体的に、多分、そんな傾向はない。
仮に、頭のいい人は字が汚い、が事実だとしても、「相手にどう見えるか」の方が100倍大事でなので、あまり意味がない。
学校ならともかく、ビジネスであれば、頭脳はそこそこでも、「知的に見える」だけで、発言力がアップする。
逆に、どれだけ頭がよくても、バカに見えるなら、仕事上のメリットは恐ろしく少ない。
なので、基本、字が汚いことは、社会人にとってデメリットしかないことは、きちんと認識した方が良いと思う。
で、お前はどうなんだ、と言われるだろうが、私は冒頭で申し上げた通り、字が汚い。
今から、綺麗な字を覚える気もサラサラない。
が、私は、「相手に見せる文章」を手書きする時は、必ず「丁寧」に書くようにしている。
一字、一字、ゆっくり、書く。多少バランスは崩れても、自分なりの、ハネ、トメを意識する。メリハリをつける。
恐ろしく時間がかかるので、つい走り書きしたくなってしまうが、グッとこらえる。それだけの価値はある。
たとえ下手でも、「本気」で丁寧に書いた文章は、相手に伝わる。
そうでない文字は、醜い。
汚い字がダメではない。適当な字がダメなのだ。
私がこう思えるようになれたのは、まだ社会人としてぺーぺーだった頃、上司がかけてくれた一言がきっかけだった。
私が、何かの申請書を提出した時だったと思う。
それを見た上司は、ふぅと息を吐き、私を見て、
「さぼてんくん。綺麗でなくていい。でも、丁寧に書きなさい」
そう言った。
私はそれまで、「綺麗に書け」と言われたことは何度もあったが、綺麗でなくてもいい、と言われたのは、おそらく初めてだった。
だからだろう。
今でも、その言葉、言われたシチュエーションは鮮明に思い出せるし、20年近い時を経ても、こうしてブログのネタにするくらい、私の指針の一つになっている。
良い上司との出会いとは、素晴らしいものだ。
もし、字の汚さで、知らず損をしている人がいたら、この記事が、少しでも参考になってもらえると、嬉しい。
では。