自分のことは、自分が一番よく分かっている。
確かにそうだ。体調の変化や、現在の心情については、そうかもしれない。
だが、評価というのは、基本的に、自分ではなく、他人が行うものだ。ゆえに、自分が世間様から見て、どういう人間として評価されているのか。それは、時おり、冷静な目で振り返ることも、大切ではないかと思う。
私の場合、自己評価は、「冷血漢」である。損得を見定め、迅速に冷静な判断を下す。だが、温かみを感じられない。そんなロボットのような役割を埋める人間だと、長年受け入れてきた。
だが、ある程度キャリアを積み、この年になって、改めて上司や周りから評価を聞くと、どうも自身の思っていた人物像とは、大きくズレがあるように感じた。
端的にいえば、私は「冷血漢」ではなく、どちらかといえば「感情的」という評価を受けていた。
心外である。
私は自分の部署にも大勢いる、一旦不機嫌になったら、上司の質問にもシカトを決め込んだり、必要な報告をワザとしなかったりするような、「感情」で振り回されて仕事をするタイプではない。
そういった人種こそ、私が最も忌み嫌うものだ。
だが、そうではないと言われる。
あなたは、納得のいかない指示には、露骨に不機嫌な顔を表に出すし、反論してくる。メールにも結構感情が出ている。そして、どうしたら相手が一番ベストな結果を得られるか、を常に考えながら行動している。本当に無感情に仕事をする人間というのはそうじゃない。
との事らしい。なるほど。
どうやらお褒めの言葉をいただいているようだが、中学2年生から育てているペットの天邪鬼が、それを素直に受け止めるのを許さない。
自分なりに落とし込んでみたいと思う。
まず、感情が表に出ているとのこと。これは、自分では分かりようがないので、正直、気恥ずかしかった。だが、友人や家族に聞いても、「そうだ」と言われたので、残念だが認めざるを得ないのだろう。
思い返すと、確かに私は冷静を気取っているようで、想定通りに行動しないことも多い気がする。
私自身はめったに人に相談しないが、する時は、ここまで言うつもりはなかったのに、後悔することもままある。
また、誰かから相談を受けた時も、想定以上に相手のことを聞いたり、言わなくてもいい自分の一面を話してしまう事もある。
今思えば、若いころから、おさわり禁止といわれても、スキンシップだから!と抗弁したり、インサート禁止と言われても、先っちょだけだから!などと、見苦しい懇願をしていたような記憶がある。
恥ずかしい過去だ 。完全に感情のブレーキが効いていない。 これで冷血漢を気取るなど、穴があったら入りたい心境である。
ただ、メールのことを言われたのは、少し嬉しかった。
私は、社会人として働き、しばらくはビジネスメールに感情的な表現を入れるべきではないと考えていた。なんだか、子供っぽいようで、言い訳くさく見えたのだ。仕事で大切なのは結果だろうと。
だが、長年仕事をするにつれ、この人と仕事を続けたい、と強く思える人は、メールにも、その人間性が色濃く出ていることに気づいた。
以来、メールにも「!」などの感嘆符を遠慮なくつかうようになった。
決して、安っぽくは使わない。本当に自身が感動した時、感謝している時だけだ。
そうしてメールを書くようになると、自然と、他の文も、生命が宿ってきたと感じるので、不思議なものである。取引先とのやり取りにも、キャッチボールのような、自然なテンポが生まれた。
以来、会社としてタブーなこと以外は、できるだけ心情も素直に伝えるように、心がけている。
メールのように、文字だけの情報は、必要以上に冷酷に映るものだ。それは、ビジネス上、決してプラスではないと、私は思う。
ロボット、AIは確かに便利だが、人にはそれに勝るものがある。それは、計算以上の答えを導き出すことだ。これも、人が感情に支配された生き物だからに、他ならない。
つまづいたっていいじゃない、人間だもの。とはよく言ったものである。
感情に振り回される、自称「冷血漢」。その名誉ある称号を、これからも、受け入れていきたいと思う。