何もしない役員の罪

人生観・仕事観

今日も、仕事は一日、工場応援だった。向かい合わせで作業するので、一緒に応援に入った他部署の人たちと、普段とらないコミュニケーションをすることができた。

彼らの話の殆どが、会社の将来への不安、そして現経営陣への怒りだった。痛いほどよく分かるし、私は泥船と沈むのが嫌で、もう辞めるので、少々心苦しかった。

彼らは一様に、今年入社したジュニア君に期待を寄せている。勿論、彼が革命を起こし、会社が生まれ変わる可能性はゼロではない。

だが、ゼロではない、程度の確率に人生を賭ける気持ちは、もう私の中にない。なぜなら、ジュニア君がどれだけ本気であっても、同族経営特有の、家族が「敵」になると、予見しているからだ。

大塚家具のような大企業ではないが、所詮、同族企業の争いなど、根っこは同じようなもの。ウチの会社には、社長の子供たちが、4人全員揃っている。これで将来揉めないはずがない。

ジュニア君については、これまで話していて、まともなビジネス感覚をもっていると感じるが、残りはかなり厳しい。

一番厳しいと私が思っているのが、「何もしないこと」を罪と思っていない点である。

言うまでもないが、「何もしないこと」は現状維持ではない。緩やかな衰退だ。ゆえに、状況に流されるだけで、全て保留し、結果、売上や利益にダメージを負ったなら、その責は本人にある。一社員ならいざ知らず、役員であれば当然だ。

これまで、私は残りの3人が、自分から状況を変えようと動いたのを、見たことがない。いつも、ことが起きてから、「自分の仕事と思ってなかった」「何も指示をうけてない」と言い訳をしていた。

だが、どう見ても、事態がよくない方向に進んでいること自体は、気づいていた。家族に経営者がいる一族、というのは、そこまでアホではない。だが、動かない。それは、自分で責任を抱えるのが嫌だからだ。

何も聞いてない、何も指示は来ていない、と開き直れば、自分に責任はないと自己弁護できる。だが、「何もしなかった」こと自体が罪なのだ。たとえ結果、失敗するとしても、状況を変えるための行動を、社員は役員に求めているのだから。

もっとも、40歳前後まで、その生き方で来ていたら、もう変われないだろう。会社が継続し続けるなら、自分の意見を肯定してくれる取り巻きだけを尊重し、最後に梯子を外されるその時まで、何もしない役員人生を過ごせば良い。

だが、会社の将来に危機を覚えた改革派がのし上がれば、何もしない派は、おそらく反対に回るだろう。リスクを極端に恐れるからだ。そして、同族の争いが起きる。そんなくだらない争いに巻き込まれるのはごめんだ。

しかし、今回、工場応援で、色々な部署の人が、私にも改革を期待をしていることが分かり、胸が締め付けられた。やはり、一人しかいないWEB担当の重要性自体は、皆、分かっているのだな。本当に申し訳ない。私には乾いた笑顔で、「変えていきたいですね・・・」と答えるのが、精いっぱいだった。

おそらく無理だと思うが、できる後任が現れることに、一縷の望みをかけたいと思う。

明日、退職願を出したあと、会社がどう動くのか。興味は尽きない。