家族に退職の意思を伝えたら、いつ結婚するの?と返された

人生観・仕事観

先日、家族に、年内に退職すること、そして今後はフリーランスとして独立する意思を伝えた。最初は実家の父、次は神奈川の姉。

二人からは、

「まあ待て。もう一度、ゆっくり考えてみてもいいんじゃないか」

「今後どうするの?あてはあるの?」

という反応を期待していたが、

「むしろいつまで今の会社にいるのか心配だった」

「辞めると聞いて安心したー」

という温かいお言葉をいただいた。

家族フィルターを被せた上で、これだけブラックと認定されるウチの会社。

大丈夫かいな。と、辞める身ながら、いささか心配になるが、仕方ない。

それよりも私が気になったのは、このウォーミングな言葉の続きである。

二人とも図ったように、

「で、結婚はどうすんの?」

と来たもんだ。

あのねぇ。収入がどうなるかも分からないのに、結婚とか考えると思う?今まで独身貫いたアラフォー男が。

いい加減に伝えるべきなのだろうか。

私は生まれてこの方、一度たりとも「結婚したい」と思ったことはないと。

何かを犠牲に諦めたのでも、優先度を下げていたわけでもない。

私は、そもそも、選択肢の中に「結婚」が加わったことはないのだ。

この発言をすることに、デメリットしか感じなかったので、あえて大っぴらに公言していないだけだ。知られてないだけで、そんな人間は、世の中にごまんといると思っている。

実際、今の社会では、「メリットを感じない」「他にやることがいくらでもある」との理由で、恋人をつくらない若者が、増え続けているではないか。

若者はそれを周りに言う。なぜなら、それをおかしいと思わない環境で育ったから。

いい年した大人は周りに言わない。なぜなら、それをおかしいと言われる環境で育ったから。

それだけの違いである。

家族をつくることでしか、生まれない幸せ、育まれる感情は確かにあるだろう。

だが、一人で趣味、スキルを突き詰める人生で、生まれる幸せは、それに劣るのだろうか。

私は優劣ではないと思う。

言葉を選ばず、少しいじわるな言い方をすれば、私のような生涯独身派は、どちらの幸せも理解できる、というスタンスが多いのに対し、昔ながらの結婚派は、独身で生まれる幸せを、一段下のものと捉えている人が多いように感じる。

結婚しない宣言を、一種の強がりと思ったり、ひどい場合は、人格的に問題があると決めつける人もいる。

私の少ない人生経験からすると、既婚者も、バツイチも、独身も、知り合い、友人に色々いるが、性格的な問題とそれらは全く関連性がない。

まぁ残念ではあるが、結婚を当たり前とした時代に生まれたのだから仕方がないと思うことにしている。

結局、家族にハッキリ断言するのはやめておいた。どうせ本意は理解してもらえない。

実は以前、酒が入った時、父にはカミングアウトしたことがあるのだが、今度は私の人生ではなく、国家の行く末を心配する発言が飛び出してきた。

そんなことだから、少子化が進むのだと。溜息しかでない。

面倒と思ったが、あえて反論することにした。

「人口減ったら何が問題なんですか?」と。

すると、国力がー、GDPがー、と予想通りの言葉が持ち出してきた。

やはり分かり合えない。

私からすれば、それを幸せの尺度とするのは、富国強兵が掲げられた古き時代の価値観と大差ない。

人口の多さが絶対条件であるなら、中国人とインド人しか幸せになれないことになってしまう。

極論?そうは思わない。これは、何をもって、その人生を幸せととるか、という価値観の話だ。

人口なんて減ってもよいではないか。何も問題はない。一時的な国力低下なども心配していない。
現在は、ネットさえ使えれば、月数千円のサブスクリプションサービスで、動画、書籍、音楽、いくらでも楽しむことが出来る。

年金もどうせシステム自体が破綻しているような代物だ。私だけでなく、現在の20~30代は誰も期待していないだろう。

私は現在でも、全く贅沢な暮らしをしていない。フリーランスでの独立に向け、食費は1日500円以内に抑えている。毎日仕事を終えた後、勉強とアウトプットの日々だが、満足感でいっぱいだ。

結婚する気は全くない。人口減っても問題ない。

そんな気持ちを気兼ねせず言える。生きやすく、風通りの良い社会を、私は待っている。