尊敬できないものは、尊敬しなくてよい

人生観・仕事観

全然すごくないものを、すごいと言わないといけない。

これって、社会人なら当たり前のようで、とても辛いですよね。

私は、10年以上勤めた会社を辞めて、フリーランスとして独立しましたが、

退職を選んだ理由の一つがこれでした。

疲れたんです。自分の感情を偽るのに。

具体的に、どんなものが「すごくないもの」だったか。

例を挙げていきましょう。

多分、何個かは、皆さんにも当てはまると思います。

①有名人、芸能人

私、有名人とか芸能人に、まったく興味のない人間なんです。

多分、何かの集まりで、急にダウンタウンの松本仁志とか来たとしても、

「へえ、凄いね」で終わると思います。

佐々木希でも、ガッキーでも同じです。

ちょっと変えて、ヒカキンがいてもそうです。

織田信長が蘇って、街に現れたとか言われたら、ちょっと見に行くかもしれません。

それくらいです。

たぶん、他人にあまり興味がないんでしょうね。

あえていうなら、Twitterとか、Youtubeのビジネス系動画で普段お世話になっている人達にはあってみたいと思いますが、

それは、憧れとかでなく、近い価値観の人と話すことが楽しいからです。

私はこんな難儀な性格なのですが、前職では、社長が連れてきた著名人や、芸能人などの接待やら、なんやらに、強制的に付き合わされる立場でした。

通販事業や、WEBのことについて、答えられる人間が、他にいなかったからです。

とはいえ、たいていの人は、謙虚で、大人で、好感のもてる人物でした。

それは良いのですが、社長含め、まわりが、

「いやあ、凄いですね!」「ほんとう凄いです!」

という、よいしょモード全開で、黒いカラスも白といえ的な雰囲気に付き合わされる(強制はされてないが、空気が反抗をゆるさない)のが、実に疲れるんですね。

で、接待が終わったあとも、

「いやー〇〇さんは凄いなぁ」「流石だね」みたいな話を、仲間内でするわけです。

そんなに、他人を凄い、凄い、ということに、何の意味があるんでしょう?

そんなに尊敬するなら、見習って、こうしよう、みたいな話なら分かるんですが。

まぁ、ぶっちゃけ。

これは、相手を持ち上げてるように見えて、じつは、自分を持ち上げてるんですよね。

〇〇さんは凄い→そんな人と知り合いの俺すごい

〇〇さんは凄い→そんな人を接待した俺すごい

という奴です。

昔は分かりませんでした。

なんだか、それがだんだん理解できてくると、すごい空しくなってしまって。

私は、自分が心から尊敬する人なら、リスペクトしますが、

そうでないなら、大統領だろうと、その辺のおっさんと大差ありません。

②特許

特許って何でしょうか。パテントですね。

正確には、特許権。

他社に、自社の成果をパクられないように主張できる権利ですね。

これが普通の理解だと思いますが、

世の中には、特許を、「宣伝」のために取得する企業がいます。

特許〇件、取得

とか、そういうやつですね。

何も知らない、一般の人は、これを聞いて、「すごい」と思ってしまうわけですが、

実際はそんなこと、ないんです。

私のいた会社は、よく薬剤の特許を取得してました。

とある病気に効果のある特許とかですね。

実際は、薬ではないです。ただのサプリメントです。

特許というのは、「新規性」があれば認められるので、薬でなくても、薬剤の特許、というのは取れるんです。

これは、「効果」を特許庁が認めたわけでは、全くありません。

条件にあった内容で、申請が行われ、 それに対し、

 なるほど。薬に使えそうな発見だね!と査定が通った。

それ以上でも、以下でもないです。

(多分、一般の方はこう書かれても分かりにくいと思いますが、結構専門的な内容なので、割愛します。そうするに、特許は効果を示すものではないとご理解ください)

勿論、特許だろうと、病気の改善につながるような宣伝は、薬機法の規制があり出来ませんが、その辺は、今でも色々グレーなやり方があります。

これを、社員全員、認めた上でやってるなら、まだいいのですが、

自己正当化してる人も多く、いやーやってられんなぁと思ったわけです。

③モンドセレクション

通販大好き、モンドセレクション。

チラシのキャッチコピーで、一度は見た人も多いんではないでしょうか?

たいてい、金賞ですよね。

それはそうです。

モンドセレクションは、普通の商品であれば、もらえますから。

必要なのは、マネーだけです。

これは、結構広まってるかと思いましたが、SNSなどで見た感じ、知らない人も多そうですね。

私はむしろ、モンドセレクション金賞と言われたら、穿った目で見る癖がついてしまいました。

これは、一般のお客様からの問い合わせと、正義感に燃えたオペレーターをなだめるのが、精神的に疲れましたね。コールセンターの責任者とか、もう二度とごめんです。

なんだか、書いていて、まとまりがない感じになってしまいましたが、

「すごいと思わないもの」を「すごい」と言い続けるのは、精神が摩耗します。

人生の無駄です。

それが仕事だろ、という人は、そういう人としか仕事をしたことがないから、分からないだけです。

私は独立して以来、心から「すごい・・・」と思う人としか、仕事してません。

なので、とても充実した時間を過ごせています。

もし、「すごい」というのに、疲れた人が、この記事を読んで、少しでも元気になってもらえれば、幸いです。

では。