その訴えは、本当は誰のためか

人生観・仕事観

本日は一日中、工場の応援に入っていた。全身が悲鳴を上げている。

これまでの人生でも、ろくに肉体労働をしたことがない。中国とアメリカがケンカして、北斗の拳のような世界になってしまったら、最後のものをいうのは自身のサバイバル能力、すなわち体力である。

退職したらジムにでも通うべきだろうか。先日契約したアパートから徒歩5分の距離にあるし、風呂代わりに使うだけでも、ガス代が浮くと聞く。検討の余地はありそうだ。

さて、製造業によくある繁忙期の工場応援であるが、私は、こんな誰も得にならない制度はなくすべきだと考えている。そのことは以前、記事にも書いた。

とはいえ、引き受けた以上は、しっかりやり遂げたい。工場の人達は本当に困っているし、応援を決めたのは、クソ経営者の方々で、工場には何の罪もない。せいぜい、週に1回程度の話だし、気持ちよく手伝おう。そう思って、無事、作業を終えた。久しぶりの現場の人達とコミュニケーションが出来たのも、嬉しかった。

さて、部署に戻ると、皆が次々に聞いてくる。「どうでしたー?」「体調はダイジョブですかー?」と。

皆は私より先に応援を体験済み。心配してくれるのか。嬉しい。少し強がり、「多少疲れたが問題ない」「想定以上のキツさではなかった」と答えると、

皆、「あ、そう・・・」と拍子抜け顔。おや。何か、彼女たちの期待する答えを、用意できなかっただろうか。

加えて、「私たちが応援で担当するセクションは、労働自体は単純だが、体の一部に極端に負荷がかかるので、バイトにやってもらうにしても、毎日シフトはつらいかもしれない。皆さんが感じた体験から、バイト獲得に参考となる情報があれば、工場に伝えるので教えて欲しい」

と話したが、「やっぱしんどいよねー」「新人にはきついと思うー」と要領を得ない回答だ。それをどうするか、聞いているのだが。

そういえば、と思い出した。彼女たちは、工場の応援に入る前から、いかにきつい作業か、というのを、自分より先に応援に入った人達から色々聞き出し、それを周りに吹聴していた。

そして、自分たちが応援に入った後は、それが自分がどれだけしんどかったか、をつらつら語り、自分だったら作業工程はこうする、こんな設備を導入する、と何の権限もないのに経営者のように語り合っていた。耳に入れる価値のない情報と判断したので、聞き流していたのだった。

おそらく彼女たちも、工場の人たちの待遇を、少しでもよくしたい、と思ってした行動だろう。その点は評価したい。まさかいい大人が、こんな大変な仕事をしたのだよ、聞いて聞いてアピールなんて、くだらないことをするわけがないし。

ただ、何故、彼女たちは、応援に入った人間にしか意見を聞かないのか不思議である。

普段、デスクワークしかしてない人間が、工場で働けば、しんどいのは当たり前である。そんなことを聞いてどうするのだろう?

本当に工場のために行動したいなら、自分の気づいた問題点が、実際に毎日工場で働いている人間にとって、新たな気づきにならないか、それとも、とうに把握していることなので、しかるべき相手に、しかるべき手段で、報告すれば良いのである。なにも、周りのどうでもいい人達に、あれこれ吹聴する必要は、どこにもない。

何かを感じ、何かを訴えるなら、それは誰のためのものか。軸足をしっかり確認したいところである。もしそれが、自身のささやかな満足感を満たすためだけのものであれば、私のような単純な人間が勘違いしてしまわないよう、自分のためと、しっかりプラカードに書いておいて欲しい。

私からのささかかな願いである。