日本の政治に欠けているマーケティングの視点

人生観・仕事観

退職するまでに、少しでもジュニア君(次期社長)に、自分の知識を伝授しておこうと思い、通販やWEBのことを教えてるが、たとえ一部上場企業で働いていた人間でも、マーケティング視点(特に最近のデジタルマーケティングの視点)は、身に付けていないものなんだな、とつくづく思った。

とにかく、自分たちは何が強みか、競合よりも何が優れているか、を必死でアピールしようとする。それは勿論いいことだが、あくまで条件整理、最低レベルの話である。

問題は、その「強み」とやらに、ユーザーが価値を感じるかどうかだ。今はかなりの分野でコモディティ化が進んでおり、実際に客の視点となって考えれば、「それは別にあなたの会社でなくてもよくない?」という強みが多い。一旦、それを冷静に、客観視する必要がある。

人は、自分にとって価値がなければ、たとえ、どれだけの熱量をもって話されても、心に響かない。ましてや、金銭や人生に直結することであれば、猶更だ。

その点で思い出すのが、最近、また失言で話題となった、某政治家の「子供は最低3人は生んで欲しい」発言である。

これは勿論論外なのだが、続けて、別の政治家が発言した「我々の世代はどうしてもそう願ってしまうので、気持ちは分かる。だが、公の場で発言するのは不適切だった」という謎フォローにも、口があんぐり空いてしまった。

根源的な問題はそこではない。

この二人の発言からは、「時代が違うから批判されるのは仕方ない」「でも、私たちの言ってることが正しい。いつか分かるときがくる」という感情が透けてみえる。もうスケスケである。だから、政治家があまりにも現実をとらえてないことに、皆腹が立つのだ。

海外、特にアメリカでは、政治の広報に、心理学やマーケティングの専門家の力を借りるのが普通である。それは、「伝わらなければ意味がない」というマーケティングの基礎を、しっかり意識しているからだ。

なぜ、今現実に、子供が3人生まれてないのか。それは、「3人産むことに価値がない」(もしくは費用対効果が悪すぎる)と考える人間が、圧倒的に多いからである。

であれば、 政治家は、自分たちとしてはこうして欲しい、という主張を押し付けるのではなく、どうやったら、子供3人産むことに価値を感じてもらえるか、について、解決の可能性がある施策を発言しなくてはならない。政策的にうかつなことはいえない、というなら、なおのこと。余計なことは何もしゃべらなければよい。沈黙は金である。

今後、政治においても、商売においても、マーケティングという視点は今以上に必要となっていくだろう。スマホという文明を得て、人は賢く、比較するようになり、一方的な主張やしきたりに騙されなくなったからだ。

ただ、知り合いに聞くと、最近の若者は、デジタルマーケティングが全てと考える傾向があるので、もう少し、オフライン、オンライン、両方を内包する世界観で考えて欲しいと、思う時も多いらしい。

私としては、今後、手ごわいライバルが増えるのはごめんなので、若者に余計なことは言わないで欲しいと、釘をさしておこうと決めた。