ネットで正義を振りかざし、正論を振りまく人たち
こんにちは、さぼてんです。ネットを見ていて、過剰な加害者叩き、被害者叩きのコメント、に眉をひそめた経験は、誰しも一度はあるのではないか、と思います。
確かに気持ちは分かります。
ただ批判したいだけの人が大半ですが、中には、自分の信じる正義から、本当に世の中を良くしたい、誰かに何かをしたいと願って、厳しい意見を書いている人も少なくないでしょう。
ですが、ネットで見ているだけの人は、当事者でも、ましてや関係者でもないので、詳しい内情を知ってるわけではありません。所詮、ニュースで報道された内容程度です。
それどころか、出所もよく分からない不確かな情報しか得てない人も、相当数見られます。
にもかかわらず、自分だけの正義を振りかざし、正論で相手を叩く行為は、どこか歪んでいると思わずにいれません。
こんな時、自分は、新社会人で上京した時、電車内で起きた出来事を思い出します。
「優先席」は、誰のための席なのか
20年ほど前、田舎から上京して就職した私は、西武新宿線を利用して、東京に通勤していました。
今も時々なるのですが、私は昔からお腹が緩く、急に腹痛と便意に襲われることがあり、初めての満員電車通勤は、地獄でした。
ある日のこと。
電車に乗り出して、しばらくすると、いつものように腹痛に襲われました。今回は中々ひどく、立つことも苦しくなってきました。
途中下車して、一度トイレに行くことも考えましたが、時間的に余裕がなく、当時はどんな事情があろうと、会社に遅刻するなんてありえない!と思いこんでいたので(健康の方が大事でしたね)、必死で痛みと便意に耐えていました。
電車がある駅につき、前の人が立って、席が一つ空きました。心に余裕がなかった私は、すぐにその席に座り、あとは目を閉じて、目的の駅まで頑張ろうと、思っていました。
ところが、座って数分後くらいのこと。
目の前にいた男性(40歳くらい?)が、急に私に向かって、
「若いのに、何優先席に座ってるんだ!近くに高齢の人もいるのが分からないか?!」
と怒り出しました。
私は痛みが辛いうえに、一瞬状況がよく分からず、「えっ」という顔で見上げていました。
すると、その男性はさらに、
「常識がないのか?早くたちなさい!全く最近の若者は・・・」
と続けてきました。
私は全く心に余裕がなく、何も言い返さず、黙って席を立ちました。
当時、周りに高齢の方がいたのか、その後、男性がどうしたのか、誰が座ったのか、よく覚えていません。
ただ次の駅で降りて、トイレに駆け込み、悔しくて、少し泣いてしまったことを記憶しています。
都会の人は優先席を誰かにゆずるのが当たり前なのか・・・。優先席かどうかは正直、殆ど覚えてないけど、体調が悪い人は優先されないのかな・・・。
と思っていました。
今は、高齢者だけでなく、体調不良者も優先席の対象だというルールは、きちんと分かっています。
事情を知らず、思い込みだけで批判する「正義」
勿論、怒った男性は、私の体調が悪いことを知っていれば、あそこまで言わなかったでしょう。
それはわかります。
ただ、私は、ネットで正論で誰かを叩く人たちと、当時の男性は、根っこが同じではないかと感じます。
それは、相手の事情を考えようとせず、自分の中にある「正義」に酔って行動するという類似性です。
高齢者でも元気で、電車で座るのが嫌いな人もいれば、若くても、体調が悪くて、立つのもつらい人は、普通にいると思います。
どう考えても自分勝手な事情で罪を犯したと報道された人も、
本当は、誰が聞いても、「それは人間としてしちゃうだろ・・・」と思うような、深い事情があるのかもしれません。
相手の事情を考える。という当たり前を失わないために。
そんなこと言い出したら、何も批判できない、とか言われそうですね。
正直、極論をすればそうだと思います。
批判って、何も生み出さないと思うんですよね。
互いにゴールを目指す批判であれば、それは自然と「議論」になります。
「議論」はいいですが、誰かを批判する行為は、基本的に、ただ自分がそうしたいだけで行われます。
勿論、人間ですから、誰かに愚痴を言いたくなる時はあります。辛いとき、親しい人や家族に、それをぶちまけるのもいいでしょう。
ですが、世界中の誰もが見れて、形に残るWEBに対しては、
一方的な正義を振りかざし、強い言葉を残していくと、やがて、全体がその思考に染まってしまうよう思います。
評論家やコメンテーターは、いいです。それで飯を食べてるわけですし、名前を出して行うなら、いざ間違った時、その責任は負うということです。
ただ、何も責任を負わない、匿名の一般人は、どうでしょうか。
そう考えると、ネットの匿名を全廃するのも、一つのやり方かな、なんて思いますね。どうせ抜け道や、アングラは無くならないと思いますけど。
私もアラフォーになり、当時、一方的な正義を振りかざした男性と同じくらいの年齢になりました。
WEBで情報を発信していく上で、相手の事情を考える、という当たり前を失わず、自分は手前勝手な正義に酔っていないか、常に自問自答して、ブログを続けていきたいと思います。