犠牲にすべきは、クオリティか、時間か
こんにちは、さぼてんです。今日も上司と仕事の進め方で、言い合いになりました。
年内に辞めるというのに、いつものパターンです。まぁ仕事なんて、ぶつかってナンボですけど。
私がいつも上司と争うことになるのが、クオリティと時間(締め切り)、どちらを重視するか、についてです。
20年付き合っても平行線なんで、互いに歩み寄るのも難しい所ですが、自分を客観視するためにも、一度、考えをまとめておきたいと思います。
私の場合、意見が衝突するのは、主に「広告物のデザイン」に関してです。
上司は、時間を犠牲にしても、クオリティを上げるべきと考えています。
私は、クオリティを犠牲にしても、時間は守るべきと考えています。
これだけ聞くと、どちらも一理あると思えますね。
なので、もう少し詳しくいきましょう。
私の意見としては、
- ①低単価で依頼しているのに、それ以上のクオリティを求めるのは無理筋
- ②締め切りをゴリ押しで伸ばすのは、取引先にも、社内にも悪影響しかない
この2つです。
低単価で仕事を依頼しているのに、クオリティを求めすぎる
上司は元々、芸術畑の人間だからか、デザインの仕事に、非常にこだわりがあります。
そこは尊敬できる点でもありますが、最近は特にクオリティを求めすぎと感じることが少なくありません。WEBだと、紙ほど差が出ないことも多いですし。
特に、明らかに低単価で依頼している仕事については、猶更です。
低単価であれば、仕事も低単価になるんです。
田舎の広告代理店なんて、とにかくクオリティより、数を回すことを優先しがちなんですから。
それは分かっている。それでも、手を抜いた仕事を許してたら、全部妥協するようになる。
と言われます。
いーえ。分かってません。それは自己正当化。言い訳です。
分かってたら、低単価で仕事を発注するのを、今すぐ止めているはずです。
でもやらないでしょ?
取引先は、自社の社員じゃないんですよ。一緒に成長できるなんて思ったらダメ。
いや、思ってもいいですけど。何年も付き合ってるのに、一向に改善の兆しがないなら、見切るか、報酬を上げるか、会社を変えるしかないです。
こちらが何も変えないのに、相手が変えてくれると望むのは、正直、夢見すぎと思います。あえてきつく言いますが。
時間を犠牲を許す風潮が、昔の人には根強い
もう一つは、そのクオリティにこだわって、締め切りを平気で伸ばそうとすることです。
これ、本当にやめて欲しい。
私がフリーランスになったら、この手の仕事は絶対受けないようにしようと思います。
たしかに、納得のいくクオリティのものが、最終的に出なかったかもしれません。
しかし、 締め切りのデッドラインは、互いに了承して決めたわけです。
なら、それまでにOKを出す作品を見ることができなかったのは、制作側の問題でもありますが、発注者側の問題でもあるんです。
しかも、リテイク料金とらない契約ですからね。そこまでに2校くらいは修正しているんですよ。
私が制作側なら、やってられんと思うでしょうね。そこまでこだわるなら、最初からそういえって。
時間の貴重さは、働き方改革以降、さらに強まる
しかも低単価ですから、所詮、通常なら「10」の仕事を、3から4に上げる程度のクオリティの差でしかないんです。
なら、互いに決めた締め切りを守ることの方が、私は遥かに重要だと思います。
締め切りを発注側が簡単に伸ばせるようだと、相手も仕事に対するモチベーションが保てないし、社内でも、それを見た若手が、あーこの会社ってやっぱ時間にルーズなんだな、と思ってしまいます。
引く手あまたの職人、とかなら、いざ知らず、
常人であれば、時間はクオリティと同様、いや、クオリティ以上に貴重なものだと考えて、仕事をすべきだというのが、私の信条です。
時間を無限にかけていいなら、だれでも一定のクオリティは上げられます。でも、時間は有限です。
働き方改革の進む日本では、その傾向はさらに強まると見ています。
これまでは、「プロ精神」という言葉を盾に、締め切りを伸ばしたり、残業を押し付けて、クオリティを無理上げるという仕事が横行してました。
特に田舎は顕著でしたが、段々と限られた時間の有用性から、それも淘汰されていくのではないでしょうか。
私も仕事である以上、クオリティに妥協はしたくありません。
ですが、それと、時間をいくらでも犠牲にしてよい。しかも自分だけでなく、周りや取引先に押し付けるのは、間違っていると思います。
これからフリーランスを目指しにあたり、自身も、クライアントにも、そうありたいと強く願います。