長年勤めた会社を退職するにあたり、いくつかのものを切り捨てた。
互いに良い大人なので、色々思う所はあるにせよ、笑顔でお別れしたわけだが、心中としては、これまでの環境、人間関係を一新するつもりで辞めた。(友人、仕事でつながりそうな人以外)
その時、辛かったのは、いわゆる「善意の人」と距離を置いたことだ。
誰に聞いても、評判の良い人、というのはいる。
世話焼きで、親切。
会話も柔らかく、友人、知人も多い。
正義感もある。
と、まさに、世間一般でいう「良い人」。
私も沢山お世話になったし、感謝もしているが、一定の距離を置こうと思った。
なぜか。
一言でいえば、合わないからだ。性格が。仕事観が。
精神論が多い
綺麗ごとが多い
その割に行動力が弱い
だが、それはまだいい。私も人に偉そうなことをいうレベルではない。
一番、合わないと感じたのは、相手の本音を聞こうとしないこと、だ。
善意から忠告する、指導する。それはいい。
だが、相手には相手の考え、事情がある。
なので、一見、その行動が、自分の倫理から外れていたとしても、
「なぜ、そんなことをしたのか」
「なぜ、そうしようと思ったのか」
それをまず、聞こうとするのが、大事でないか、と私は思う。
自身も、自分の子に対してはそうするのではないだろうか。
スルーするなら別に良いのだ。
私も、自分の理解できないもの、自分の常識から外れている、と思うものには、眉をひそめるが、コメントはしない。
そこまで他人に興味もない。
だが、本当に相手のためを思って、助言をする、というのなら、まずは、相手にその行動動機を訪ねることが、大事なのでないか。
それが、コミュニケーションにおいて、最も重要でないか。
と、私は思う。
営業をする時もそうだろう。
ウチの商品はこれが凄い、こんなに人のためになる、といった所で、
相手がそれを求めていなければ、意味はない。
全部同じだと思うのだが・・・。私が間違っているのだろうか。
ふー。なんだかセンチメンタルな話を書いた。
個人的に、環境を一新すると決断はしたが、感謝している人と距離を置きたくはなかった。
だが、退職を決めた以上、これまでとあらゆる面で変わるのは当たり前であり、その変化について、主観から色々「善意」を押し付けるようなら、距離を置くしかないか、と考えた。
残念だ。
こういう日は寝れなくなる。
でも、いつ寝ても良い(仕事に支障がない限り)のが、フリーランスの良い所。
と思ったら、今日は日曜日だった。
最近、曜日関係ない生活をしているので、ずれがでてきたようだ。いかんいかん。
少し、読書してから寝よう。