ブログには、「人格」が宿っている

人生観・仕事観

気付いたら、結構ブログを書いていた。

WordPressさんによると、これが274記事目らしい。

最初は、記事中では「よゆーw」と強がりながらも、

心の中では、「100記事とか無理でしょ・・・つらたん」、と思っていた。

やがて、細かい装飾も、SEOもやめ、記事数を数えることさえ忘れていたら、気づくと、この記事数になっていた。

今では、一回飲んだら消える程度のささやかなアドセンス収入が、モチベーションの一つになっている。

誰も聞いてないにもかかわらず、

余裕が出来ると、弱小ブログでも、こんな悟った意見を独白するようになるのだから、人間なんて、浅はかなものである。

さて、

特化と雑記の中間を狙おう!、と息巻いてブログも、今では完全にただの日記帳となってしまったが、それでも、これだけは、と、自分の中にルール化しているものがある。

それは、ブログに「人格」を入れる。ということだ。

人を感じないブログは、全く心に残らない。

先日、かつての同僚が始めたブログを見た。

個人事業をしていて、そのサイトの中に作られたブログだ。いわゆるスタッフブログ、というやつか。

今時、

「1位保証」をうたう、インチキくさいSEO業者のコンサルにのり、始めたと聞いた。

私は止めたが、旦那が進めてしまったらしい。

先日、覗いてみたが、案の定、箸にも棒にもかからない、内容だった。

文量は300~400文字程度。写真は毎回、同じようなカット一枚。

毎回、「Aさんの依頼でこんな仕事しました」まる、で終る、

いかにも義務感でやりました、というブログ。

日報のように、無機質で、まったく読む気がおきなかった。

スタッフブログは何のためにするのか?

集客と、ファン化ではないだろうか。

であれば、人格こそ、まさに大事。

あーこの人の所なら、頼んでみようかな?と思わせること。

なら、仕事ひとつひとつに、込めた思い、感じた何かを、そのまま書けばいい。

完成後の写真だけでなく、作業中の写真も、どんどん入れればいい。

私がコンサルなら、そう伝える。

大体、完成事例を見せるなら、ブログではなく、ギャラリーでパッとで見せればいいのだ。

いかにも、適当な知識の業者が授けた案、という感がアリアリで、腹が立つ。

私はかつて同僚を知っている。いい加減な仕事はしない人だと。

にも拘わらず、このブログを読んだだけでは、そう読み取れない。不憫でならない。

誰しも、自分が愛読しているブログは、文体や、スタイルに、その人ならでは、の味が出ているはずだ。

TwitterやFacebookでは表現できない何かが、そこに生まれる。そんな気がしている。

私はこれからもしょうもないブログを続ける。

飲み代のためでもあるが、単純に、ブログが楽しいからだ。

たとえ文量が減っても、考えが変わっても。

人格だけは、このブログに込めていきたい。そう願っている。