中小企業は、社長を尊敬できるか、が全て

会社やめるまでの軌跡

社長とは、ある意味、宗教団体の教祖

こんにちは、さぼてんです。田舎の会社で20年程、WEB担当やってきました。

現在、今の会社を見切って、独立準備中です。

社会人の皆さん、社長を尊敬していますか?

もし、「尊敬してない」と感じたなら、遅かれ早かれ、今の会社は見切るべきかもしれません。

私は残念ながら、尊敬できる社長の会社に勤めた経験がありません。しかし、友人や取引先の人に聞くと、二枚舌ではなく、

「この人、本気で社長を尊敬してるな」と感じることもあります。

おめでとうございます。きっとその会社は安泰です。

たとえ教祖と呼ばれるような社長であっても。

いや、むしろ教祖と呼ばれる社長だからこそ、その求心力、実行力、改革力が、これからも会社を生存させるのだと期待されます。

そもそも会社の理想とは、志を共にする人が集結した状態です。ある意味、宗教団体みたいなものです。

教祖が尊敬を集められないようでは、その団体に未来はないでしょう。

事業よりも、それを率いるトップを指標に、会社を見るべき

今は、どの会社も5年後は分からない、といわれる時代です。

事業を指標にできないなら、私は、それを率いるトップである「社長」を指標に、会社にいるべきか、決めるべきだと思います。

もし、会社が苦境に立たされても、尊敬できる社長であれば、その状況を必ず打破できると信じて、社員も頑張ることができるからです。このモチベーションが大事です。

私は、今の会社の社長を尊敬していません。むしろ軽蔑しているといっていいレベルです。なのでモチベを保てなくなりました。

現状でもヤバいと感じることが多々ありますが、これからAIによる効率化が一気に進む時代に、舵をとれる気が全くしません。

たしかに日々暴言を吐きますし、ゴルフか来客に自慢話をしているだけで、尊敬できる人間ではありませんが、それは別に良いのです。

今まで多くの「社長」に接してきましたが、社長になろう、なんて人間は、多かれ少なかれ、どこかネジがとんでるものです。そこに人間性は求めません。

では何を基準に尊敬するか、というと、

結果を出しているか。これに尽きます。

社長に求めるのは、「結果」だけで良い

冒頭でも申し上げましたが、私は、中小企業の社長はある意味、教祖だと思ってます。

なぜ信者が教祖についていくのか。それは奇跡を見せられたから、だと思います。

奇跡=自分の求める結果です。

奇跡を起こせない教祖に、信者がついて行く道理はありません。

同じように、私が社長に求めるのは結果だけです。

一応、弁護しますが、結果=金ではありません。まぁ大半はそうだと思いますが。

たとえば自身が仕事に求める理想が一致する。これも一つの結果だと思います。

ようは、自分の求める答えを出してくれること。当たり前のようですが、これが社長を尊敬できるか、の条件だと思います。

社長が腐れば、役員が腐り、会社全体が腐る

中には、「今は尊敬できないけど、きっと社長も変わっていく・・・!」と言ってる人がいますが、無理でしょうね。

このタイプは、社長を信じる、というより、今の環境を変えずに、未来が変わると信じている、ただの楽観者です。

変わりませんよ、良い方向には。

何故なら、社長が腐っていると、周りの役員も全部腐っていくからです。

大体腐り方は2つに分かれて、

いかに社長に媚を売ってポイントを稼ぐか、しか頭にないタイプと、

全て諦めて無気力状態、でも役員はやめないよ!タイプです。

私も以前は少し夢見てましたが、役員が全て腐った会社に未来はないことが、よーく分かりました。

しまいには、「自分はできなかったけど、さぼてん君なら会社を変えられるかもしれない。頑張って!」とかいう始末ですからね。

仮に変えられるほどのスキルを身に付けたとして、そのままその人が会社に残ると思っている所が、やはり現実が見えてないと言わざるを得ません。

このような会社に「負」の財産しか残さなくなった社長には、とっとと引退してもらいたい所ですが、

今やっと二代目が入ってきたような会社であれば、あと10年は実権を握ったままでしょう。健康寿命も延びてますしね。

速やかに引退するようなら、まだ望みがあるんですが。

繰り返しますが、今は、ビジネスモデルが当たっているからといって、5年後も会社が存続しているかは分かりません。

それほど変化が激しく、IT、AIに関しては、伸び続ける中韓に先行され、遅れをとっているような状況です。

今の会社に居続けるか、それは、社長を尊敬できるかと同義です。

今いちど、自分の心に問いかけてみましょう。