iPS細胞の発展のためには、「大切な何かを捨てられるか」という覚悟が必要と感じた

人生観・仕事観

先日、iPS細胞の講演を聞きに出向いた。登壇された戸口田先生は、京大の研究所副所長で、山中先生の長年の相棒だそうだ。(マラソン、ラグビーつながりもある)

恥ずかしながら、存じ上げておりませんでした。申し訳ない。

さて、iPS細胞の技術が、どれほど偉業であり、素晴らしいかは、いくらでも情報が溢れているので、割愛するが、

ようするに、

「体のどこかの細胞を使って、どんな細胞にも変化させられる凄い細胞(iPS細胞)を作る」

技術である。

なので、

腕を欠損したとしても、爪の細胞から再生出来るし、

心臓が潰れたとしても、血液の細胞から再生出来る、

わけである。

なにそれ凄い。

もっとも、これには、「理論上は」という、但し書きが付く。

そのため、現在、世界中の優秀な研究者が、実際にヒトの体でそれが行えるかを、必死になって研究している。

いくつか報道されているように、目の網膜の再生など、既に臨床で成功するなど、その発展は素晴らしく、

おそらく、将来的には、ダメになった体や臓器を、たやすく交換することが、現実になっていくのだろう。素晴らしいことである。

さて、これだけだと、

iPS細胞最高!

で、講演は終わってしまうのだが、そこは流石、その道の権威。

「今後、どういう問題が起きるか?」

という点にもしっかりフィーチャーしていた。

色々あるのだが、端的にいえば、

「技術的に可能か、よりも、人として許されるか、が今後の課題」

という内容だった。

これは、技術者の方々よりも、受け止め側である、私たちの問題といえる。

例えば、である。

・肝臓の再生は可能。だが、「豚の体内で育てられた肝臓」を、あなたは受け入れられるか?(臓器は、生体内でなければ、生成が難しいらしい。今のとこ)

・自分の細胞だけで、精子と卵子を同時に作ることも可能。仮に、それで子を成したとしたら、その子は社会的にどう受け入れられるか?

など。

正直言って、これだけ聞くと、

頑張っている技術者の方には申し訳ないのだが、

明るい未来よりも、不毛な議論の争いが待っているような気がしてならない。

立場の違いで、答えが変わるからだ。

今でさえ、ネット上で、くだらないレスバトルが延々と繰り広げられている。

今回も、質疑応答で、

やはり、年長者(失礼ながら、時間的にiPS細胞の恩恵は受けられないだろう方々)から、反対っぽい意見が上がっていた。

ま、それはそうだろう。

もう実利に関係ないのだから、あとはただ、長年培った倫理観から、

「生理的に気持ち悪い」という感情が生まれるだけだ。

逆に、中学生の女の子からは、

男×男でも、子供ができるってことですか?(/ω\)キャッ

という、素晴らしい質問が飛んでいた。日本の未来は明るい。

さて、残念ながら、日本の人口ピラミッドは、完全に高齢者層に傾いており、

選挙制度が今のままであれば、おそらく、高齢者の意見を完全に無視した政策を進めるのは、難しいだろう。

となると、iPS細胞の発展を阻むのは、技術よりも、高齢者のエゴになるかもしれない。

これについての答えはない。

そんなことは、はるかに昔から、私よりもはるかに頭の良い方々が、必死で議論を重ねているだろうから、ぜひ、頑張って頂きたい。

ただ、今回の講演は、

技術者ではない私たちに、

その難問に答えを出す覚悟はあるか?

と、突きつけられているように、感じた。

何かを変えるには、何かを失うしかないのだ。

それは、倫理観であり、嫌悪感であり、それ以外かもしれない。

新たな争いではなく、明るいニュースが生まれることを、切に願う。

なお、

今回の講演では、地元の中学生?が授業の一環として来ていたのだが、

質疑応答で手を上げるのは、女子ばかりであった。

ちょっと男子~。