「どれだけ勉強したら、国立大学に入れますか?」
「どれくらい残業しないと、いけないのですか?休みも働くのですか?」
「給料はどれくらいなんですか?」
全て、私が母校で教壇に立った時、質疑応答で、生徒達からされた質問である。
といっても、教師ではない。社会人講和、というやつだ。
学校からのオファーに基づき、企業が卒業生を派遣。会社のPRと、地域貢献を兼ねた、良いお仕事である。
「自分の人生」がテーマだったので、学生時代の思い出から、今の会社に至るまでの道筋を、ある程度、ユーモアも混ぜつつ、話した。
それなりに、楽しんでもらえたのではないか、と思った。
講演後、 仕事なので、一応、詳細を上に報告したら、何人か、上の質問に顔をしかめた。
「これだから、最近の子供は・・・」
という奴である。
正直、その感想は残念だ。
私はむしろ、子供たちが、素の質問をしてくれたことが嬉しかった。
こういった講和だと、あらかじめ「質問役」と「質問」が決められていることも少なくない。
そんな台本通り、事を成しても、つまらないし、楽しくない。
勉強時間、労働時間、給料。
いいじゃないか。
それが、普通の高校生が「知りたいこと」。本音だ。
大人に必要なのは、そういった質問に対し、余裕を見せて誤魔化したり、茶化すのではなく、「本気」で向き合い、答えてあげること。そうではないだろうか。
特に、私が子供の時代とは違い、今は、インターネットがある。
高校生であれば、殆ど、自分用のスマホを持っている。つまり、「検索」が可能だ。
しかし、大抵の高校生は、「調べ方」が分からない。
取っ掛かりもつかめないし、調べ始めたとしても、情報の取捨選択ができない。
だから、大人がしてあげられることは、「自分の知りたい情報は、どうやったら手に入るのか」、そして、自分で正誤の判断がつかない事柄は、どうやって、自分の中に落とし込んでいくのが良いのか。
そういったコツを教え、子供たちの進む道先を照らしてあげることでないか、そう思う。
今のままだと、「検索」の重要性を知らぬまま、 一部の人間にとって都合よくパーソナラズされた情報を、受け続ける可能性がある。
私自身、社会に貢献したい、という意識は希薄な人間なのだが、育ってきた背景の違いに理解を示し、分かりあうことは、この先、公私共々、一層大切だと感じる。
なお、このように、偉そうに語るおっさんも、君たちの頃は、
部活の後、エロ本を買いに、片道1時間チャリを漕ぎ、どれが良いか、さらに1時間悩んで、よる10時に帰宅し、心配性の親を泣かせるバカガキだったことや、
将来の夢や目標など、考えたことすらなく、それが朧気に見えてきたのは、30後半からだった。むしろ、40を超えてからも、それが芽生えていること、など。
そんなことを、また講師に呼ばれたら、話してみたい。
そう思った。
多分、フリーランスは呼ばれないと思うけどw。
では。