メールのアーカイブ機能が便利だ。
Gmailアプリだけかと思っていたが、他のメーラーでも、大抵できるようだ。いつからスタンダードになったのだろう。
右に左にフリックするだけで、いらないメールを捨てることができる。
実際はメールを捨てたわけではなく、格納されただけだが、大半のユーザーにとって、ゴミ箱に捨てたのとほぼ同義だ。見返すことなどほとんどない。アーカイブとは、そのメールが、ユーザーにとって、無価値となった瞬間を指している。
誰が最初に思い付いたか知らないが、大したものである。この操作にいったん慣れてしまうと、もうこの機能なしには考えられない。
だが、と少し思う。
このあまりにも手軽な「捨てる」という行為を重ねていると、人として、何か大事なものも、同時に失っているような、そんな不安感が、ある日、胸をついた。
便利なのはいいことだ。だが、この機能は便利過ぎないだろうか。
確かに、アーカイブするようなメールは、大半が広告メールなど、どうでもよいものばかりだ。
だが、そうでないものもある。たとえ、自分にとって無価値でも、そこには人の意思が宿っている。
それを、ごみを払いのけるように、サッと消し去る。そこに、何か違和感があるのだ。
右クリックして削除したり、ドラッグするのと何が違う?と言われると、返答に困るのだが、
たとえば、自分の敷地にいらないものが置かれていたとして、それをよいしょと持ち上げてどかすか、蹴りを入れてどかすか、程度の違いはあるような気がする。
私自身、合理化、効率化、ショートカットが大好きだ。
人生で無駄なものはどんどん省いていきたいし、10分かかっていたことが、5分で出来るようになると、実に嬉しい気持ちになる。
それでも、やはり「バランス」は大事だと思う。
スマホはもう体の機能の一部、といっても過言ではないほど、私たちの生活に密着している。
そこから、精神、考え方へ影響するものは少なくないはず。
スマホをどう使うかは、だれにもチェックされないし、指導もされない。
自分だけの考えで、ルールを決めて、それを守るしかないのだ。
私は、このメールをアーカイブする行為が、何となく気になったので、今後はいったん、この機能を使わないことに決めた。
私だけのつまらない意地のようなもの。だが、便利なものを、ただ全て受け入れるのではなく、自分なりの考えで、あえて違う道をとることも、これから未来を生きていく上で、必要なのではないか。そう思った。