そごうの新聞広告に対する批判が、何かずれてると思うけど、マーケターの懸念も分かる

人生観・仕事観

あまりTwitterを見ずに年始を過ごしてたら、もう終息していたので、乗り遅れた感があるが、せっかく興味あるテーマだったので触れたいと思う。

「元旦広告」。というか、企業の打つ、新聞広告の意義についてだ。

私自身、今はWEBマーケターだが、そもそも事業会社の中で、紙媒体中心に仕事してきた人なので、この辺は、多少事情を知っている。

上記の新聞広告について、一部から批判が相次いだようだ。

主に、

・全15段広告は4000万くらいかかる。そんなに集客効果があるはずがない。

・その点、ネトフリの15段広告はよくできている

・こんな古いやり方を続けている、だから日本の企業はダメなんだ

という論調。

ようするに、「費用対効果」「経営姿勢」に対する批判である。(ついでに自分のマウントも兼ねている)

ざっと見た感じ、

  • デジタルマーケティング中心の人
  • 業界のこと何もしらない一般ピープル

からの批判が多いようだ。

で、これについては、自分の中で答えが出ており、

こちらのご意見に全面賛同というのが、私のスタンス。

ただ、それで終わってはつまらないので、もう少し深堀してみたい。

基本、批判している人たちの言は、前提が少しずれている。

実際に金を出しており、戦略全体の中身を把握している、広告主サイドがいうなら分かるが、外部からそれ言っちゃう?と思う点が多々ある。

そもそも、新聞広告の掲載費は水もの

ずっと前から気がかりだったのが、ネットで広告批判が出た時、前提としている広告費が大体「定価」なことである。

例えば、アニメの全15段広告(全面広告)が掲載されたとき、

  • ネットで見ると、掲載費は4000万だぞ!
  • そんな金があるなら、作品のクオリティにもっと使え!

と、批判が出る。

そもそもユーザーが言うのは的外れ、という点は置いといて、前提として、新聞広告が定価で掲載されるなど、まずありえない。あれは「参考価格」だ。

事情を知らない人は、ホームページにのってる価格しか分からないので、アレが掲載費と勘違いしているが、

実際は、広告代理店との契約(出稿回数など)代理手店と媒体との力関係、広告の種類(通販広告か、啓蒙広告か、など)、掲載日を指定するか(空いた枠ならいつでもいいか)などで、全然変わる。

「そうはいっても、4000万→3000万とかだろ!」

と思うかもしれないが、違う。

条件によるが、場合によっては1000万以下。

下手したら300万円(1回分)で出せるケースも、あるにはある。

なので、新聞広告の「定価」を前提とした批判はそもそも的外れなのだ。

真の価格を知るのは、その契約にかかわる、媒体と代理店と、広告主のみであり、それ以外の人は価格を前提に批判すべきでない、というのが、私の意見である。

元旦広告は、そもそも集客効果を狙ってない

値段を抜きにすると、あとの批判は、そもそも「元がとれるのか」という批判だが、

これについても正直、広告主、というか、そこの経営者(および株主)が判断することであり、外部がとやかく言うものではない、と思う。

が、一応、マーケターの人たちが言いたくなる気持ちも、よく分かるので、そこも触れたい。

まず、とくにデジタルマーケティングの人に多いのが、CVとCPA、ROASといった指標でしか、広告を語れないことだ。

凄い極端な話をする。

A社の社長が、一存で、ある広告を出した。一般人が誰も反応しない、しょっぱいクリエイティブの広告だ。

社内からも批判轟轟だったが、社長は満足していた。

なぜなら、社長の狙いは、その広告を、B社の社長に見せることだった。その話題と、企業姿勢に、B社の社長は感銘し、商談はトントンと進んだ。

また、新聞広告だけでなく、後日、記者からインタビューを受ける予定があり、その記事が掲載されたことも、功を奏したようだった。

結果、A社は無事、B社から契約を勝ち取った。

これは極端な例だが、ようは、こういった広告の使い方の場合、CVだの、CPAだのはどうでもよい。そして、計算できるものでもない。

また、これは実際のケースだが、自社の啓蒙広告を出すと、取引先から注文が増えるケースがあった。

営業や、経営者が、広告を見て、「取引先の存在を再認知する」からだ。

これをCVという視点で見れば、おそらく費用対効果は合わないだろう。

しかし、特価の広告に絞り、また、その他、様々な副次的効果も目的としたら、充分ペイできる可能性はあるし、そういった細かいことが分からない外部が批判するのは、お門違い、という事である。

とはいえ「検証なし」の無駄な新聞広告が多いのも確か

とまあ、好き勝手いってきたが、正直、一般人はともかく、マーケターの人たちが懸念するのも、よく分かる。

「理屈は分かるよ。じゃあ、全く検証しないの?」

という事だ。

私もこれは否定派で、検証はすべきだと考えている。

やり方は、多分、きちんとマーケティングを学んだ人なら分かるのだと思うが、私は不勉強な上、全部独学なので知らない。

そもそも、「計算で測れないもの」を、きちんと検証しよう、という考えが間違っているのかもしれない。

なので、私は、広告単体で見るのではなく、

自分自身で把握できる全ての販管費、利益、から総合的に見て、

「やる意味あったか、なかったか」を、考えることにした。

適当に理屈をつけることも出来るが、そんな数字合わせをしても仕方ないし、

最終的な意味は、最高決定権者のみ、知るところ、なので。組織上。

で、私は、前職の時、

14年間続いた、社長の広告費垂れ流しに、完全に呆れてしまったわけだ。

だから、マーケターの人たちが、言いたくなる気持ちもよく分かるである。

とはいえ、それは、戦略の細かい目的と、正しい広告費を理解している、社内の人間。さらにいえば、裁量権のある人間が言うべきことであり、外分が批判することではないよ、と思った次第である。

でも、「広告」に対して、こんな意見が色々でるのは面白い時代だなと思う。

真の目的はともかく、これだけ認知された時点で、そごうはもう勝ちだろうな。

では。