退職する人には、優しくしよう

会社やめるまでの軌跡

今回、自身が退職する身になって、強く実感したことがある。

それは、誰かが退職することになった時、たとえ、それがどんな人物だったとしても、温かく送り出そう、ということだ。

特に経営者や上層部は、これを自然にできなくてはならない。それを痛感した。

私には、以前、社会通念からみれば、お世辞にも良いとはいえない。ひらたくいえば、ダメな新入社員を部下にもった。

彼は、毎日定時で上がり、業務も非常に優しいものしかしていなかったにもかかわらず、週に1回は欠勤した。休みの連絡さえ来ない日もあった。

結果、休みが少ないのでモチベが上がらない、という、実に現代っ子らしい理由で辞めることになったが、彼に、餞別を贈るか議論になった。

反対派は、「彼自身も負い目があるので、やめた方が良い」という理由だった。それも分かる。

賛成派は、「たとえどんな人間であっても、誰かが去るときは餞別を贈る。それが大事」と言っていた。これも分かる。

私は、日和ものなので、どちらも一理ある、と悩んでしまったが、結局、上長が賛成派だったことから、それに落ち着いた。

今でも、正解だったかは分からない。また、彼と私では、年齢も立場も違う。

だが、自身が退職する身になって思った。

退職を決断したり、その事を上長や社長に告げた時は、人は、想像以上に弱っている。

そんな時、温かい言葉や贈り物というのは、自分を肯定してくれる、かけがえのないものなのだ。

すると、退職する側も、あまり会社に悪い印象を残したくない、と考える。

具体的には、他の誰かに自身の退職について話すとき、必要以上に会社を悪者にしない、また、むしろ良かったことも多い、というフォローする、といった具合である。

実際、私は直属の上司と、ジュニア君に、優しい言葉をかけてもらわなかったら。むろん会社をこき下ろしたりはしなかっただろうが、特に、かばうこともなかっただろう。

どちらにしても去ることが決まっているなら、その人物を敵にする必要など全くない。

しかし、分かっていても、中々できることではない。事実、現社長の言葉は、残念ながら、私の心に何か残すことはなかった。

もっとも、それだけ付き合いも長く、ショックも大きかったからだと思うが・・・。

うむ、やはりフォローしてしまう。

これを自然にできるのだから、ジュニア君は大したものである。私は誰かを雇うことはないと思うが、心にとどめておきたい。

去り際が大事、というのは、去る本人ではなく、送る会社にこそ言える、ということを。

余談だが、最近、メンタルが著しくブレイクしてるので、勉強する気も、ブログを書く気にも、あまりなれない。

退職は体力が大事だ。これも忘れないでおこう。