こんにちはさぼてんです。本当は違うネタを書こうと思っていたのですが、今日はどこのニュースを見ても、3.11を特集しており、
私も色々感じることもあったので、ブログを始めて最初の3.11記念として、その事をテーマに書きたいと思います。
佐川、ヤマトの引き取り拒否で、現実を知る。
当時、私は通販のチーフリーダで、いつものように受注管理をしていました。私は震源地からはるかに離れたド田舎に住んでいるので、地震発生時は、何も揺れを感じませんでした。
その後、Yahooのトップページで、「大地震発生」的な見出しが並んでいるのを見て、
「あー、やっぱりきちゃったかー」
と軽く思ったのを覚えています。(数日前に強い余震があったので)
この時点では、完全に他人事でした。
そして、発生して1時間後くらいに、どんな状況なのか知りたくなり、2chを見に行った所、
そこのスレで、あの誰もが知る、衝撃的なシーン。津波が街を飲み込んでいくシーンを目の当たりにし、尋常ではない事態が起きていることを知りました。
ただ、あまりにも衝撃的だったので、どこか現実的ではない、別の世界の出来事みたいな気持ちもあったと思います。
そこからは仕事に気も入らず、注文も来ないので、とっとと帰ってニュースを見なければ…、と思っていましたが、
夕方に当社から出荷する大量の通販の商品。これを、佐川もヤマトも引き取りできないといわれ、やっと私も、これが現実のことであると、ハッキリ認識しました。
一番の友人の実家が、宮城県で、海のすぐそばと知る。
そして、被災地にも大勢のお客様がいる、という当たり前のことに気づき、
どうしたらいい?これから俺はなにをしたらいいんだ?と
途方に暮れてしまいました。
しかし、そこでは終わりません。
私の会社はド田舎ですが、少しだけ県外出身者もいます。そして、一番の友人の出身地が、「宮城県」であることを思い出し、
まさか海のそばじゃねーよな・・・
と、Googleマップで彼の実家を調べると、なんと海から50mしか離れていない超危険エリアではないですか!
えっ、マジ?
なんて声かけたらいいの?
彼は、私の2つ隣の部屋に住んでおり、流石に、何も言わないのもどうかと思いますが、私もこんな状況初めてなので、何を言えばいいのか分かりません。
一人になりたいかもしれないし、私もキレイゴトを言えないタイプなので、
何も情報がないのに、
「大丈夫だって!家族はきっと生きてるよ!」
なんて言えませんでした。
酒の力を借り、彼の部屋を訪れる。
でも、夜、どうしても気になってしまい、
散々悩んだのですが、
「酒」の力を借りて、(全然酔えませんでしたが)、彼の部屋のインタフォーンを押しました。
部屋に入った後も、彼はずっと不安そうにTVを眺め、私は同じ部屋のすみっこで、チビチビ酒を飲んでました。
「飲む?」
というと、
「いいです」
と彼が返す。
あーこんなこというつもりじゃなかったのに。飲みたいわけないやん!(というかお前も飲むなよ)
と、自分で自分をコントロールできない感じでした。
さらに、空気を読めない社長が、
「ニュースで〇〇百人亡くなってるって言ってるぞ!彼の親御さんは大丈夫か!」
とか電話してくるんですよね。
気持ちはありがたいが、そっとしといてくれよ。分かるわけないだろ。
結局、夜の1時ごろまで、彼と同じ部屋でチビチビと酒を飲むだけで、その日は帰りました。
Googleさんが、神ツールを公開する!
そして、翌日。
自分に何かできることはないのか、と悩んでいた時、天下のGoogleが私に素敵なツールを提供してくれます。
その名も、「Google person Finder」。
電話もメールもつながらない、被災地の状況が全く分からない私たちに、生存者の情報(避難所に張り出されたリストなど)を共有するツールを公開することで、
何もできないと思ってた私に、彼の家族が生きているかもしれない、という希望を見つける手助けをしてくれました。
そこからは、寝る間も惜しんで、毎日、避難所に張り出されたリストに、彼の家族の名前がないかチェックし続けました。
そして、ここからは長くなるので、割愛しますが、
地震発生から一週間後、彼の父親の生存を、お店の常連さんが書いたブログの記事で発見して、知ることができました。まさかブログで見つかるとは思いませんでしたよ。(彼の父親は個人商店の経営者でした)
まぁ、それでも発見したときは嬉しかったですけどね。彼も感謝してくれましたし。
一番大変な時、そばにいるのが、友情。
あれから8年たちました。彼の家は津波で流され、跡形もないですが、家族は全員無事でした。それだけでも、彼は幸運だったと思います。
ある時、一緒に酒を飲んでいて、当時の思い出を語り合ったことがあります。
そこで、あることを教えられました。
私は、彼がもし私に感謝しているとしたら、地震後、彼の家族の安否情報を必死に探したことだと思っていました。
でも、違ったんです。
彼が一番感謝していたのは、
震災が発生した夜、私が彼の部屋を訪れ、一緒に居てくれたこと
でした。
当時、彼は何も話さず、私も声をかけられず、ずっと一人でチビチビ酒を飲んでいるだけでした。
なので、私は何の役に立たなかったと思っていました。
違ったんですね。
自分でも分からないほど、精神的に追い詰められたときは、誰かがそばにいる、というだけで、とても力強いものなのだと、それだけで心の支えになるんだと。
そのことを、彼には教えてもらいました。
酒はない方が良かったらしいですが(笑)
日本は災害大国。これからも、多くの災厄が色々な人の身にふりかかってくるでしょう。
次は私の番かもしれません。
ですが、次に、とても声をかけられない、という誰かがいても、私はもう迷いません。
ちょっとの勇気で、誰かを支えられることを知ったから。次も酒瓶をもって駆けつけますよ!
お互い支えあい、災害大国を生き抜いていきましょう!