「工場応援」という誰も幸せにならない制度

会社やめるまでの軌跡

今年もこの時期がやってきたか・・・と天を仰ぐ。手にあるのは赤紙。

工場からの「製造応援」に関するお達しである。

この赤紙。一年に数回ある繁忙期には、必ずといっていい確率で、各部署に回ってくる。赤紙がくると、各部の所属長は、ただでさえ労働時間削減であえいでいる中、貴重な人材を毎日、数名ずつ、工場に放出しなければならない。

私も部門のトップではないが、実作業を丸投げされる立場なので、正直キツい。おそらく今回も全員から、不平不満が続出するだろう。

「分かりました。勿論、先日の仕事は間に合わなくなるけどいいですよね?」などと言われる程度なら、かわいいものである。今から胃が痛い。

この工場応援という制度。私は今の会社に入るまで知らなかったのだが、メーカーではわりと普通に行われていることらしい。

ウチの会社が扱う商材は食品なのだが、通年ものではなく、夏に圧倒的に消費される。そのため、ピークに合わせた人員配置をすると、冬は人を持て余すため、人件費的によろしくない。

そこで、かしこい経営陣は、あくまで冬を回せる人員で揃え、それでは到底回らない夏については、総務、経理、研究、企画など、全ての部署から、「オラに元気を分けてくれ!」なノリで、招集し、解決することにしたのである。合唱。

いや、パート雇えばいいじゃん・・・と普通の人なら突っ込むのだろう。しかし、それは所詮、常人の発想だ。

ウチの社長はそうではない。「全員が正社員であることに意味がある」という謎理論を持ち出し、創業以来、どれだけ社員が疲弊しようと、部門長が泣き叫ぼうと、パートを雇って解決する、という選択肢を拒否してきた。これぞまさに、狂人の発想といえよう。

意地も通せば男前。これで異物混入などのクレームが減るなら万々歳なのだが、残念ながら、世界はそこまで優しく出来ていないらしい。

むしろ逆で、人間扱いされず、精神的に摩耗した「正社員たち」は、次々とミスを繰り返した。

結果、増えるクレーム、失うモチベーション。そして、何故できないのか。気合が足らない、と激高する社長を、死んだ魚の目で眺める部門長たち。

素晴らしい。誰一人、幸せになったものがいない。私のような若輩ものには、この制度が何故業界で恒常化しているのか、理解が出来ない。

もっとも、最近はやむにやまれぬ事情もある。

パートを雇えば良い、ではない。募集してもパートが来ないのである。俗にいう「売り手市場」の問題だ。ただでさえ不人気であり、若者の数自体も減っている現代では、製造メーカーは万年人手不足の状況が続いている。

わが社も例にもれず、正社員を募集しても集まらないので、昨年から技能実習生のベトナム人を数名招き、頼っているような状況だ。この時点で、もう正社員オンリーという神話は崩れていると思うのだが、社長の中では、パートではないからオッケーらしい。私にはもうよくわからない。

しかし、言葉を選ばず申し上げれば、今時、田舎の中小企業の工場しか働き場所がないような人間に、多くを期待すること自体、間違っていると私は思う。

これは人間性を否定しているのではない。純然たる事実だ。

もうホワイトカラーの業務さえ、RPA(業務自動化)でどんどんロボットに変わっている時代である。

工場の仕事など、一時的な働き場としてはともかく、長期的に自分の将来を考えれば、就職すべき選択肢ではない、というのは、誰でも分かる理屈といえる。加えて、田舎の中小企業というコンボであれば、その給料など、奴隷賃金といって差し支えない。ちなみにウチは高卒、残業なしであれば、一年目の給与は下手すれば手取り10万を切る。

このような条件でも就職する人間は、当然社会を知らず、仕事に対するモチベーションも著しく低い。いや、ハッキリない、と言っていいだろう。

困るのは本人たちより、その人間を采配して結果を出すことを求められる中間管理職だ。特に優しい人間であるほど、責任は自分にあると思い込み、事態はより深刻化する。まさに、負の連鎖である。

単純労働が好きと、平気でいう人物がいる。ウチの部署にもいる。

それは本人の自由だが、自動化の進む今の時代、経営者や仕事に対しモチベーションの高い社員が、そのような発言をする人間に対し、どのような印象を抱くか、一度、冷静に考えてみるのも、良いかもしれない。とくに、まだ替えのきく人生であるならば。

さて、私も現実逃避はやめて、明日提出しないといけないシフト表に目を向けるとしよう・・・。