「ポジティブ思考」が大事とよくいわれる。私は「ネガティブ思考」の方が大事派だが、ここでは問わない。
私が言いたいのは、そこでないからだ。
私は仕事において、「何事もポジティブに捉えることは大事だが、その陰で努力している人へのリスペクトを忘れてはならない」ということを、いつも忘れないようにしている。
本日、職場の朝礼で、教本をもとに、スピーチした。当番制なので、しょうもないテーマに当たると、しょうもない儀式が、さらにしょうもなくなる。
今回は、「ポジティブ思考の持ち方」がテーマだった。じつにしょうもない。
内容もあまり覚えてない。なんだか、色々とポジティブに考えるにはどうしたらよいか、というポイントがツラツラ書いてあったが、社会人であれば、
「そんなの分かっているよ!でも、つれぇんだよ・・・」
ものばかりだった。
なので、その通り、この方法では気持ちの切り替えは無理だろう、と感想を述べた。
自分がやっているポジティブ思考法は、たとえ何が起きたり、どんなことを言われても、
「別に殺されるわけじゃない」
と考えることである。平和な日本においては、大体これがまかり通る。
残念ながら、世界を見渡せば、そうでない国は沢山ある。2020年になろうか、という時代にも関わらず、決断を間違えれば「死」に直結する国が。そうでない国に生まれたことを、感謝したい。
そう、彼女に振られようが、友人に裏切られようが、親が死のうが、仕事で多大な損失を出して降格しようが、
「別に死ぬわけではない」のである。
生活水準を下げたり、家族を失うことを「死」と捉えるなら、それもありうるが、少なくとも、私の知っている国語の知識では、自身の心臓と脳が生きている限り、「死」ではない。
そう考えると、やらかした時は、人生の最後のように落ち込んでも、涙をぬぐった後は、いくらでもやり直しは効くと、立ち上がることができる。
私も、たかだがアラフォーなので、そこまで追い詰められたのは、2~3度ほどしかないが、そんなのは、人それぞれだ。
恋愛しまくりの女子高生の方が、死にたいと思った回数は多いかもしれない。種類の違いだけであり、そこに差はない。
なので、私にとってのポジティブ思考は、「別に殺されるわけじゃない」。
このスタンスで、全てOKである。
しかし、これだけでは足りないものがある。それは、「他人へのリスペクト」だ。
自分ではどうにもならない問題を、「殺されるわけじゃない精神」で切り抜けた時、その負荷を、何とかしようとした人間が、必ずいるはずである。
その人間も、最終的には誰かにバトンを渡したかもしれない。また、やってみたけど、どうにもならなかったかもしれない。
それでも、自分のなしえなかったことを、誰がしていることで、世の中というのは、回っているのだ。それが、友人、家族、社会、というものである。
とはいえ、社会まで考え出すと、感謝の気持ちを薄れてしまうので、とりあえず身近な人のへリスペクトは忘れないようにしたい。
肉体は死ななくても、心が死ぬことはあるのだ。それが人間なのである。なので、健康は全てにおいて優先される。
今日の朝礼も、形式上、全員に向けてだが、お世話になった人たち、とくに私の上司である一人の女性に、その言葉を送ったつもりである。
少しは伝わり、元気になってもらえると良いのだが。
さて、仕事もあと2日で終了。これが最終日なら、いい感じに終われたのだが、残念ながら、当番制とは無慈悲であった。
最終日はあっさり挨拶をして終わろう。そう思った夜だった。