ユーザーが求めるものと、自分が作りたいもの

会社やめるまでの軌跡

昨夜は義理の兄と遅くまで飲んだ。おそらく初めてだ。義理の兄と「仕事」について、本音で語り合ったのは。

話題はもちろん、私の退職、および独立について。兄として、そして、誰もが知る超大手企業に20年勤める経験から、本気の助言をしてくれたように思う。感謝しかない。

そこで、分かったことがある。それは、「自分が本当にいいと思うものだけを売りたい」という願いは、大手だろうと、中小企業だろうと、そこで働くだれもが抱いている願い、だということ。

私が退職を決めた大きい理由の一つが、それだった。

私は14年間、今の会社に勤め、その間、自社の商品が「ユーザーに必要なもの」、と思ったことは一度もなかった。

いや、むしろ逆で、ウチの商品は、製品以外の部分で、必要以上の価値を見せかけ、ユーザーに対し、良い製品を選ぶ機会を奪っている、と思っていた。というか今でも思っている。

ユーザーのことを考えてつくられた商品でないから、当たり前だ。ウチの商品は、市場調査から、ユーザーの声を集め、競合を分析して、その後、自社としての価値を付加し、設計する。そういう一般的なプロセスは踏まない。

かといって、社会にこんな価値を提供したい、という何か特別な想いがあるわけでもない。

ウチの商品は、社長と、ある一人の役員の意向ですべてが決まっている。一言でいえば、「ユーザーが喜ぶ」ではなく、「社長が喜ぶ」製品になっている。

社長の価値基準とは、「他人に自慢できるか、否か」。その一点のみだ。

だから、売れなくても、利益がでなくても、むりやり「高価格」の商品を作ろうとする。ユーザーに価値ある体験をしてもらうおうとして、結果、高い製品になった、のではなく、まず、高い商品をつくる、という立脚点から始まるのだ。

この時点で、もう社会貢献もくそもない。そんな邪な思いで生まれた製品が、社会に必要とされるはずがないのである。

そして、とある事件が、私の背中を押した。

コンプライアンス上、詳細はかけないが、その時、会社はユーザーのことを考えるのではなく、自分たちの保身だけを考えた行動を、社員に強制した。私はその旗をもち、先導する役目を負った。

そして、すべてをやり終えた後、退職を決断した。

兄も、「会社のつくりたいもの」「ユーザーが求めるもの」、そして「自分がつくりたいもの」。

そのはざまで、悩んでいる気持ちを、少し話してくれた。世界的企業でも、いやだからこその悩みか、とも感じた。

だが結局は、ユーザーが求めるもの、そして、自分のつくりたいものが、一致すること。

強制的に、合わせようとするのではない。その二つが、自然な流れでピタっとかみ合う。それが、本当の「仕事」なのだろう。

そうして生きていきたい。この原点を忘れないようにしたい。

そう思った夜だった。