一人で生きると決めたら、「失敗」を受け入れよう

会社やめるまでの軌跡

この度、一身上の都合により、14年勤めた会社を辞め、事業会社のWEB担当から、フリーランスのWEBマーケターになります。

そう周りには説明してきたが、やはり上の年代の人には、わけの分からない仕事に聞こえるらしく、

「きちんとツテはあるのか?」

「そんな曖昧な仕事で生活できるのか?」

など、色々と心配をかけている様子である。

幸い、実の親や姉は全く止めてない(ウチがブラック企業だと知っているからだと思うが)ので、問題ないだが、多少、心苦しいとこであるのは否めない。

だが、心配してくれている人に、あえていう事ではないので口を閉じていてるが、本音でいえば、「別に失敗してもいい」が私の気持ちである。

むしろ、失敗したい、まである。なぜなら、失敗することでしか成長はないと、今までの経験で、強く実感しているからだ。

嫁さん、子供の生活があるなら、悩むかもしれない。しかし、私は花の独身である。結婚の予定もない。親はいまだに孫を抱く夢を見ているようだが、諦めてくれ。そんな願望は、人生40年で考えたことは一度もない。

大体、姉が既に孫を生んでいるのだから問題ないだろう。内孫と外孫は違う?ハッ、これだから昭和前半生まれの人間は差別主義でいかん。血が繋がってて可愛ければ、そんなの関係ないだろう。

私としては、結婚という道は選ばない代わりに、自分なりに好きに生きる、という人生を選択したのだから、とことん自分の成長を追求したい。

これは、向上心も多少はあるかもしれないが、個人的には単に臆病だからだと思っている。

家族を作る気がないのだから、生きていく上では、自分の能力が全てとなる。であれば、他人と同じことをしていてはダメだ。希少価値が生まれない。

では希少価値を生むのは何か。一言でいえば、スキルだ。どこの環境においても「代えが効かない」といわれるくらいの人材であること。そうしてこそ、安定した人生が約束される。

そのためには、失敗が必要なのだ。

なので、「失敗するかもしれない」という心配や助言は、気持ちはありがたいが、的外れなのである。

誰でも、失敗はいやである。胃がキュッとしまるような感覚。鈍器で殴られたような痛み。寝れない不安。

しかし、人は愚かな生き物なので、成長するには、一度、失敗するしかないのだ。

必要なのは、その時に、心をいやす何かがあること。それは、勿論、家族も一つの選択かもしれないが、別にペットでも、ゲームでも、エロ動画でもいいわけである。

ちなみに私の場合は、ゲームである。

失敗とゲーム。死ぬまでこれを続けて、成長し、安定した人生を過ごしていきたい。そう願う。