誰にしも、自分にしか分からない喜びがある。

会社やめてからの人生

昨夜、ブログの問い合わせフォームから、一件のメールが来ていた。

今年2月にブログを開設して以来、スパムメールしか来たことがなく、タイトルが「お礼」となっていたので、

「また新手のフィッシング詐欺か・・・。世も末よ。」と、削除へ手を伸ばしたが、不思議と手が止まった。

おもむろにメールを開く。そして、目を疑った。

そこには、

「〇〇の記事が疑問が一発で解決しました。感謝します!」

というお礼の言葉と、

「40歳からフリーランスで再起を図る、という生き方が素敵です」、と書かれていた。

告白しよう。

私はこれを見た時、スマホを2度見どころか、5度見し、その後、嬉しさで、布団の中で打ち震えた。

40のおっさんがキモイ?1件メール来たくらいでチョロすぎ?

何とでも言ってくれ。私にしか分からない喜びがあるのだ。

ここからは、時間のある方だけ、私の長くつまらない自分語りを聞いてもらいたい。

私は、今年の2月頃に、ブログを開設した。15年近く勤めた会社を辞める決断をし、口論中に、つい勢いでそれを上司に告げ、精神的に著しく摩耗していた、そんな月だった。

なぜ、ブログを作ったかは、色々理由があるが、メインは下記2つだ。

①自分のメディアをもつことで、スキルの低下を防ぎたかった

②あわよくば、収益化を狙った

まず、スキル低下についてだが、私は中小企業のひとりWEB担当、という特性上、なんでもやらされるため、非常に、幅広いスキルを得た。

HTML/CSSが分かる

Accessが使える

サーバー管理ができる(ローカル/WEB)

Photoshop/illustratorが使える

Googleアナリティクス、その他分析ツールが使える

Yahoo、Googleのインハウス運用ができる

広告のデザインができる

景表法、健康増進法、薬機法の規制に準拠した広告表現の策定

などなど。

細かいことをいいだしたら、社長から私的に受ける動画の編集など、キリがない。

なので、会社では重宝される。「使い勝手の良いコマ」として。これは決して、悪い意味ではない。

私が組織の長でも、色々なことがそこそこできる、という人材は、大切にしようと思うだろう。WEBの情報格差から、部署間の情報横断が喫緊の課題となっている今、それをつなぐ、バランスの良い人材は、おそらくどこも必要なのだ。

ただ、会社からすると、そうかもしれないが、本人からすると、「どのスキルも中途半端」になる状態に、危機感を覚える。

以前は、各分野で、一線級のプロに出会うたび、自分のスキルの低さを思い知らされて、落ち込むこともあったが、今では、つなぎ役と機能していることが分かっているので、それはない。

ただ、浅い知識は、「実際にやってないとゼロ」になる。実際に体を動かして、染み込ませないと、ネットでニュースを追う程度では、自分の中で、体系化するのは難しい。

ようするに、広く浅い知識を維持したければ、常に広い分野を「アウトプット」する環境に、自分を無理やり置く必要がある。

退職するとそれが出来なくなるので、ブログで場を作ろうと考えたわけである。これについては、当初の予定と少々異なるが、うまくいっていると思う。

次に、収益化についてである。

ブログが金になる、というのは、一応、WEBマーケターの端くれでもあったので、知っていた。私はCVにつながらないYDN、GDNの配信先のブログを、プレースメントから除外する側だったが。

ブログで生活する、なんてことは、考えていなかったが、月3~5万くらいの不労所得が手に入るなら、嬉しいな、とは考えた。SEOの勉強にもなる。

なので、色々なブロガーの記事を読んで、

・毎日更新すること

・アクセスが増えなくても、続けること

・読者の役に立つ記事を書くこと

・写真、見出しの装飾で、読みやすさを考慮すること

がポイントだと分かり、それになぞって、毎日記事を更新した。

今回、お礼を頂いた記事は、その初期の頃に書いたものだ。ちなみにこれ。

私自身、本気で悩んだことで、誰かの役にたつかもしれないと考えて書いた記事だった。

実際、この記事はよく読まれた。一時は、ブログ全体の3割がこの記事だったこともある。

だが、段々と、人のために記事を書くのに疲れていった。

よく読まれているのだから、誰かの役には立っているのかもしれない。

しかし、PVや滞在時間、直帰率を見ても、「役に立ったかは分からない」。

(SNSのいいね!でいいじゃん、と言われるかもしれないが、私が求めてるのは、そういう機械的で軽いものではない。あと、私はSNSが嫌いだ。)

なので、誰かに喜ばれているかもしれないが、その実感がわかないことを続ける気力は、70記事くらい書いて、失せてしまった。

以来、ブログの書き方を変えた。

丁寧語はやめ、自分の好きな文体にした。

SEOは無視した。読みやすい見出しや装飾に時間をかけるのをやめた。

「誰かの役に立つ記事」という視点を捨てた。

自分が書きたい内容を書き、それがたまに誰かの役に立つなら、それでいい、と考えた。

すると気楽になり、簡単に書けるようになった。

もう230記事ほど書いたが、毎日の更新が全く苦ではない。

なので、私はもう、誰かのために記事は書いてない。だから、感謝の言葉なんて期待してなかった。

だが、今回、ブログを読んだ人から、「感謝しています」とお礼のメールが届いた。

私は、その喜びの大きさを知った時、ああ、本当は誰かに感謝されたかったのだと、気づいた。

毎日、毎日、ブログを更新している人は、大半は収益が目的だろうと思っていたが、こういった感謝の声も、おそらくモチベーションになっているのだろう。

今回、感謝された記事は、私がスタイルを変える以前のものだ。今でも、Googleアナリティクスを見ると、アクセスを集めているのは、多くが最初の頃に書いた「誰かの役に立つ記事」である。

だからといって、「誰かの役に立つ」ことを考えて、また記事を書くことはない。一時の感動で動いても、決して続かない。

私が気づいたことは2つである。

それは、最初は芽が出なくても、いつか花咲くものが必ずある、ということ。

そして、この方のように、感謝を素直に伝える、という姿勢を忘れないようにしよう、というものだ。何気ない、たった一言で救われる人がいると、実感したからだ。

私が昔から心掛けていることが一つある。

それは、飲食店で食事をした時、「本当に美味しい!」と感じたら、会計の時、ごちそうさまと合わせて、必ず、「美味しかったです!」と感想を伝えること。

わざわざ言わなくても、と思う時もあったが、なぜか不思議と続けている習慣だが、今回のように、もし、私の一言が刺さり、喜びを感じてくれた人がいたのだしたら、それはとても嬉しいことだし、今後もぜひ続けていきたい、と改めて感じた。そんな朝だった。