先日、「熱狂顧客戦略」というビジネス書を読んだ。
個人的にはそれほど新しい情報はなかったが、昨今のマーティング全般において、重要なことが初心者にも分かりやすくまとめてあるので、
バリバリのマーケターよりは、その周りや、上長に理解してもらうのに、お勧めしやすい本かと感じた。
その中で、重要なのは、ユーザーの中から「熱狂的なファンをつくること」。そして、そのためには「熱量をもって、自社商品を勧められる社員をつくること」、と書かれていた。
はぁーとため息が漏れた。
知ってる。
だが、難しいのだ。
特に、「健康食品」の場合は。
これは15年ほど、その業務に従事して得た結論だ。
実際、この手のビジネス書で、健康食品での成功例というのを、私はあまり見たことがない。
なぜか。
まず、ファンを作るほうは、健康食品の場合、
「効果効能を表現する販売手法は、行政処分や訴訟リスクが非常に高い」という問題がある。
L92乳酸菌やカルピスに代表される、いわゆる「研究発表サイドと販売サイドは違う団体なので、オッケーだよ」という手法は、とことんグレーであるが、一応、まだ崩されたわけではない。
しかし、消費者団体や一部の専門家、マスコミからは既に問題視されており、この手法がアウトになるのも、時間の問題と感じている。
例えば、この書籍では、ユーザーとの定期的なイベントで絆を深めた事例などが書いてある。
ところが、健康食品の場合、ユーザーが求めてるのは、究極的には「効果」だけである。
ぶっちゃけ、使いにくかろうが、多少、値段が高かろうが、「効く」なら売れるし、ファンも作られるのだ。だからユーザーが知りたい情報とは「効果」に関する研究や、他のユーザーの体験談がメインとなる。
しかし、それを、工場見学で招いたり、会社でイベントとしてPRしてしまうと、一気に、それが「効果に標ぼう」となり、グレーとなる。実際に保健所から指導を受けたことがあるので、確かである。
そんなの法律がおかしい。立派な研究成果が出ている健康食品は、世に出るべきだ、という意見もあるかもしれない。
だが、「立派な研究成果」とは何だろうか。
個人的には、健康食品には、「立派な研究成果」などないと考えている。
あるのは、
・クズのような研究成果
・多少ましな研究成果
くらいでは、ないだろうか。
実際、健康食品としては高いエビデンス(科学的根拠)を求められる、トクホや機能性表示さえ、
「じゃあ効くんですか?」
と専門家に聞けば、
「気休め程度には」
「飲まないよりはマシ」
という反応が返ってくるはず。
そう、健康食品というのは、基本「気休め」的なものなのだ。
ユーザーアンケートを行っても、継続理由に「効いているから」とはっきり書く人が、30%を超えることは稀である。
ほとんどは、効いてるかも、効いてないかも分からないが、「何となく」続けているだけなのだ。
いやうちは80%超えてるよ?という会社がいたら、それは設問が意地悪なつくり方をしているだけだと思う。(どちらかといえば効いている、などをカウントしているとか)
少し脱線してしまったが、
ようするに、健康食品とは、「気休め」の商品であり、ある意味、宗教みたいなものである。
この事実を知っていれば、
熱量をもってユーザーに勧める社員をつくるのも、熱狂的なファンをつくるのも、非常に難物だと分かると思う。
私は正直、「健康食品」は、この世に必要ない存在だと考える。
必要なのは、世界をベースに、多様な薬の利便性をさらに上げることで、
薬と食品があれば、中途半端な立ち位置のものは、必要ない。気休め程度の効果は、普段の食事で十分賄える。そう考えている。
あえていうなら、栄養機能食品(ビタミン、ミネラルなどの補充を目的とした商品)は、食事が忙しくて摂れない人や、何らかの理由で食事ができない人には、必要だと思う。
だが、今までの人生で聞いたこともない成分名の健康食品は、基本、人間には必要ないものだ。
熱狂的に健康食品を勧める人とは、「自分が効いたから」というのが、その理由だと思う。
だが、本当にその健康食品が効いたのだろうか。
ほかに健康面で気を付けていることはなかったか?食べ物に気をつかったりしなかったか?
それらがなかったとしても、あなたに効果が出たからといって、他人に出るとは限らない。
健康食品とは、その程度の再現性のものである。
その程度のものを無根拠に勧める、しかもそれが高価なものであれば、それは宗教と大差ない。
私はそう思っている。