昨夜は、別部署の上司と飲んでいた。上司といえど、部署も違い、仕事以外での縁もあることから、友人関係に近い。楽しくも、寂しい酒を交わせてもらった。
間もなく退職を迎える私だが、社内がもはや壊滅状態にあることは、誰もが知る所。そう思ってないのは、社長をはじめとした経営者一族と、その取り巻きくらいのものだろう。
この上司も例にもれず、会社に対しては絶望しており、「辞めようと考えたことありますよね?」と聞くと、
「勿論だ。あの時と、この時と・・・」
と延々と語りだした。
もはや会社には期待していないのに、居続ける。
既に辞める決断をした私には、独身の身で、そこまで我慢し続ける理由が見いだせなかったので、
「ではなぜ辞めなかったのか」
と聞いてみた。
すると、彼は、「社長に恩がある」と返した。
彼は研究者であり、ポスドク問題の犠牲者でもある。道を見失いかけた時に、ウチの社長に拾ってもらったことを感謝しているようだ。
その気持ちは大変よく分かる。
私も今の会社にいるのは、前職を辞め、公務員になろうか、改めて民間に就職しようかと悩みつつ、結局意思の弱さから、どちらも選べず、1年以上、ニートとして引きこもって言た時、今の社長に拾われたからだ。そのことは、今でも感謝している。
感謝はしているが、私と彼には明確な違いがある、とこの時、感じた。
私にとっては、「恩義」よりも、「現在、尊敬できるか」が大事なのだ。
たとえ、どれだけお世話になった人であろうと、今は尊敬できないのであれば、自分の人生を犠牲にしてまで、付き合うべきではない、そう私は思っている。
彼以外にも、年配の方の中には、社長に恩義を感じているから、辞められない人がいるそうだ。
だが、私からすると、それはもう、「やりたいこと」がないから、恩義があるので、辞められない、と無理に理由をつくっているように思えてしまう。
それに、過去どれだけ素晴らしい人間だったとしても、人は変わるものだ。聖人と呼ばれた人が、金がらみで本性を見せたことも、これまで見てきた。
あまり、過去の「恩」だけに縛られるのは、危険な思考でないかと私は思う。
大切なのは、今「尊敬」できるかだ。尊敬でき、恩もあるなら、迷うことなく、ついていけば良い。
大体、恩というなら、散々サービス残業をしてきた時点で、充分返している。一度、自分が本来、どれだけ貰えたか、という後悔ではなく、「本来、どれだけ会社の利益に貢献してきたか」という視点で、残業代を試算してみるのも、いいかもしれない。貢献に時効はない。
私が辞めたあと、「尊敬できない社長」に、どれだけの人が、今後もついていくのだろうか。
その行く末は、誰も分からないのだろう。