子供のような大人が増えている、はどの世代のことだろうか

会社やめるまでの軌跡

本日、会社で、「最近は子供みたいな大人が増えたよねー」「日本の将来が心配ー」という会話を耳にした。

こういった会話は、いつの時代も世の常だろうと思うが、あえて個人的意見を述べさせていただくなら、仮に子供のような大人が増えているとしたら、それは若者にではなく、そんな話題を口にしている40代以上の人間にではないか、と私は思う。

おそらく最近の働き方改革に代表される、労働者の権利の守る流れに、のっかって増加しているのだろう、と推測される。この法改正は、普段仕事をしてない人間を守るためのものではないのだが、残念ながら、制度の恩恵というのものは、えてして、本来役に立つべき人間に回らないものである。

子供のような大人。人によって、色々定義はあるだろが、私にとって、それは「視野が極端に狭い」人間である。

自分の知る狭い世界を基準にしか物事を考えられないので、この手の人間と仕事をしても、得られるものは何もない。

もし会社に入って、周りが精神的に子供しかいないと判断したら、1年以内に転職か独立をお勧めする。10年以上、それらの上司をやってきた結論である。

私が、子供のような大人について、一番理解不可能だった行動は、「仕事に平等を求めること」だ。

例えば、仕事をバリバリしているAさんと、仕事をできてないBとCがいる。急遽、割り振られた本日締め切りの脳筋作業があれば、当然、BとCに仲良く分配する。

しかし、ここでBとCは反論してくる。なぜ、Aに振らないのか。不平等であると。

最初は面食らった。何かの冗談かと思ったほどだ。Aには他に優先してやってもらう仕事がある、と説明しても、不満顔で納得しない。

埒が明かないので、業務命令なので従ってほしいと言うと、今度は無視である。さらに仕事も、あてつけのように超ゆっくりやる始末。

私はそもそも、仕事を平等という視点で考えたことはなかった。

締め切りを守れるか、部内全員が定時内で終えられるか、そして、求められた質で完遂できるか。この3点以外は頭になかった。

しかし、BとCの考えでは優先順位が違う。彼女たちが最も優先するのは、仕事への公平感である。
視野が狭いので、他人の仕事については、どんな内容かも、どんな影響がでるかも興味がないのだ。

たとえ、Aだけ本来の仕事が終えられなくても、仕事の質が落ちても、それは自分の仕事ではないので、関係ないのである。

また、公平感といえば聞こえがよいが、結局の所、大事なのは自分の感情。すなわち、「自分が気持ちよく仕事ができるか」という一点だ。

どんな時も、一番、自分が気持ちよくできるかを優先する。それを世間ではなんというか。そう、「子供」である。

相手の立場を考える、時には自身の気持ちを押し殺す、というのは、とてもしんどいことだ。だが、それを成し遂げてこそ、人は誰かに慕われ、尊敬を集めるのだと思う。

私も自分なりに頑張ってきたが、流石に10年以上は長かった。退職を決めた後は、こうして、ブログに、心のゴミを吐き出している。

なお、その影響が表にも出てきているのか、社内では、子供な大人たちから、「最近、さぼてんさんが冷たくなった」と噂されているらしい。

惜しい。冷たくなったのではなく、全てを諦め開き直ったのだ。2か月後、退職届を出したあと、どんな反応を示すのか、少し楽しみである。それを肴にしばらく酒が楽しめそうだ。

私も結局は、闇に囚われた一人だったらしい。やはり10年以上は長い。

繰り返すが、もし、あなたの周りには、子供な大人しかいないとハッキリしたら、すぐ環境を変えることお勧めする。人生はいつ終わるか分からない。少しでも有意義な時間を過ごしてほしい。