会社にも、ブログにも、気苦労のない人生を過ごしたい

会社やめるまでの軌跡

気のせいかもしれないが、最近はブログで会社の愚痴しか書いてないように感じる。

そんなブログ、誰も読みたくないのではないか、と思ったが、よく考えたら、読者を意識してブログを書くのは80記事当たりでやめたので、どうでもよいのだった。

今はいい意味でも、悪い意味でも、アウトプットの場としてのみ、ブログを利用している。最初は目標としていた100記事も、知らない間に超えていた。

もうノルマを果たすためだけに、「50記事書きました!」だの「80記事書きました!」だのという、駆け出しのブロガー以外、カケラも興味のない記事を書くことはないだろう。

最初は私も、収益化を目指していた。これからフリーランスで稼げるのが一番だが、実際の所、どうなるか分からない。

ブログならWEBマーケティングと通じる部分が多いし、勉強ついで、コストもかからず、広告やアフィで月10万もかせげれば、たまに日雇いプラスするくらいで、年金まで気楽に過ごせるかな?など、調子のよいことを考えていた。

だが、しばらくブログを続けて分かった。これは私には向いてないなと。

正直、毎日書くのは苦痛ではなかった。当初から、1日30分~1時間もあれば大体書き終えられたし、今までの人生で蓄積してきたノウハウを、うどんのように、伸ばして伸ばして、小出しにしていけば、1000記事はともかく、500記事はそんなに難しくない、という目算はあった。

だが、想像してゲンナリした。楽しくないと。

多くのユーザーに評価されるコンテンツが上位になる、というGoogleの指標は正しい。

だが、多くのユーザーに評価される記事、というのは、他にない記事、というより、「完成度の高い記事」を意味する。

高額を稼いでいるインフルエンサーのブログも読んだが、どれも質が高い。だが、そのブログは「趣味」ではなく、やはり「ビジネス」色が強めである。

むろん幅広いユーザーに、価値ある情報を提供しているので、そのことには文句のつけようがない。

公開されているノウハウの多くは、基本的に、ビジネス書で手に入るものばかりだが、それをかみ砕き、若者にも分かりやすく翻訳して、ブログやYoutubeという媒体で広げることは、時代にあった、素晴らしいことだと思う。自身の成長にもつながる。立派だ。

ただ、私が立派なことを続けたいと思わない人間だった。それだけの話である。

仮に数年努力して、月10万、20万とかせげるようになったとしても、人のためにブログを書き続ける人生はごめんだ。

楽しくない人生が嫌で仕事を辞めるのに、また楽しくないことに縛られるのでは意味がない。Googleに人生預けるのも、何となく嫌だし。

人には向き、不向きがある。

好きな時に好きなことを書き、気分が闇モードの時は毒を吐く。それなら気軽に毎日できるし、結果、月数千円でも小遣いができるなら、それでよいのでないか。そう思うことにした。

というわけで、結局本日も愚痴で終わった。たまには誰かの気分を上げ上げにする、ポジティブな記事を書きたいのに、15年勤めたブラック企業の瘴気が、私にそれを許さない。

退職12月末まで引っ張るのは長いなぁ。精神がもたない。このままだとあと半年も、ブログがゴミで埋まることになる。

引継ぎ3ヶ月も考慮するのは、甘すぎたか。夏のボーナス貰ったら、引継ぎ2ヶ月で切り上げよう。

今まで退職した人の去り際を見ていて、どうせ、どれだけ会社に貢献してきた人物でも、辞意を伝えた途端、手のひら返されるのは目に見えている。気を遣うだけ無駄というもの。

自分の人生。会社にも、ブログにも。過剰に気を遣うことなく生きていきたいものである。