社長室に神棚がある会社は多い。
ついでにいえば、その世話(水替えや掃除)を、全て社員にやらせて、自分ではなにもしない社長も多い。
個人的に、そういう会社は大成しないと思う。神棚うんぬんではなく、社長自身に行動力がないことの証明だからだ。
そういう話である。
私は全く信心深くない。
無理やり付き合わされた時以外は、初詣にもいかないし、パワースポットと呼ばれる場所にも、全く興味がない。
なので、会社に入り、神棚の世話係を任命された時は、心底ゲンナリしたものだ。
東京で最初に就職した時は、そこそこの会社だったので、社長室など、入ったことさえなかった。
社長というのは、年末年始や、年度初めに、朝礼で見る存在。その程度の認識だった。
その後、Uターンし、地元の中小企業に就職した私は、企画系の部署に配属となったが、社長室の隣にあるせいで、秘書的な仕事もよくやらされた。
そして、社長室に神棚があることを知ったのも、この時が初めてだった。
神棚の世話について、全担当者から色々教わった。
榊の水替え、お供えの盛り塩や、お米の替え方、濡れ布巾で掃除をするときは、清め塩も使うこと、など。
中々、勉強になった。
正直、楽しくはないし、冬は水も冷たいし、単純なルーチンワークなので、お仕事ですし、と、特に気にせず、続けていた。
社長は特に、何もせず、毎朝拝んでいるだけだったが、それが普通だと思っていた。
ある日、年配の社員の方が、少し愚痴っていた。
「本来、神棚というのは家長が世話すべきものなのになぁ。つまり社長なんだよ」
と。
知らなかった。仕事なのだから、社員がして当たり前だと思っていた。
しかし、神棚の存在意義を改めて考えた時、確かに、これは社長自らしないと意味ないのでは?と腑に落ちた。
そもそもなんで、社長室に神棚があるのか。
経営というのは、たとえ100%。いや120%頑張ったとしても、自分の力だけではどうにもならない事柄がある。ぶっちゃけ「運」、ということだ。
なので、最後に、不思議な力に支えてもらいたい、というのは、誰しも願うことだろう。
実際、これまでの人生で、そういった「神頼み」の局面を、何度も乗り越えてきたかもしれない。
なので、経営者が社長室に神棚を作り、日々、拝むのはよく分かる。
しかし、本当に感謝しており、その恩恵をこれからも願うなら、普通、自分で世話をするのでは?それが自然な気持ちでは?と思う。
神様の立場を代弁するなど、不敬にもほどがあるかもしれないが、
神様が立ち寄った時、その場所を部下に掃除させていて、自分は横でふんぞり返っている、という社長がいたら、それは応援したくなるものかな?と単純に疑問に思った。
時間がない?
神棚の世話など、5分もかからない。
出張で会社にいない?
いる時だけでもやればいい話。
ふむ。
つまり、たかが神棚の世話と考えていたが、これは経営力を表す一つの指標では?と思えてきた。
ようするに、口でどうこういうよりも、その思いが行動に表れているか、ということ。
これは、普段からの経営判断、指示、ビジョン、全ての共通している。
そして、当時、この社長は、そのすべて置いて、保留癖がついており、指示もなげっぱなし、あとは、もう利益に対して繋がらないのに、仲が良いだけの取引先とゴルフ三昧、という毎日であった。
まさに、神棚の扱いが、その経営手腕も体現しているといえる。
多分、創業当初や、社長室に大きな神棚を作った当時なんかは、そうではなかったのではないかな。
やがて、人に任せるようになった時、経営者として、大事なものも、どこかに置いてきたのかもしれない。しらないけど。
さて、いよいよ年末が近づいていた。
もう会社の神棚の世話をすることはないが、私自身、信心にすがりつきたい局面に出会い、やがて自室に神棚を設置するような時も、やって来るのだろうか。はてさて。
では。