正論とは、誰でもいえるから正論である

人生観・仕事観

私には、嫌っているものが2つある。一つはパクチー。最初に流行らせた人に右ストレートをかましたいと、常々思っている。好きな人には申し訳ないが、美食家でない私には、ただの草としか感じない。

そしてもう一つが、正論しか吐かない人間。いわゆる「セイギマン」である。女性の場合も多々あるが、面倒なので統一する。誰の周りにも、必ず一人はいるはずだ。

君子危うきに近寄らず。普通はハイハイと放置していれば済むのだが、職場だと残念ながらそういうワケにもいかない。

セイギマンの言動は、一見、自身だけでなく皆を思っての言葉のように感じられ、社会正義と照らし合わせても、正しいことを言っているように聞こえるので、そうだそうだ、と感化される人間がたびたび現れる。

ある程度、社会人経験がある人間は問題ないと思うが、新入社員の若者は気を付けた方が良いかもしれない。

そういった「正論」を声高に叫ぶ人物が、では、実現をするために、どのような「行動」を起こしているか?それを見定めるべきだ。残念ながら、私のわずか40年の人生では、実際に行動を起こしているセイギマンと出会うことはなかった。

ウチのセイギマンの実例をあげよう。

先日、大口の顧客から、多少無茶なお願いがあった。本来、納期が一週間の契約なのに、どうしても3日で入れて欲しいという注文だ。

通常であれば、

①まず、現場にその無理に対応できるキャパがあるか確認

②対応可であれば、相手との関係性(大口顧客であること、普段こちらが無理をいう時もあること)などを加味し、今回の要望に、社として応えるべきか判断。

③最終的にはOKを出す場合、今回の案件を機に、より相手と深い関係が持てるようコミュニケーションしておく

といった対応が妥当だろう。

だが、セイギマンは違う。

「前は同じような要望があったのに断りましたよね?お客様は全て平等じゃないんです?」

と、キリッと擬音を出しながら、口をはさんできた。

はぁ、と溜息がでる。勿論、これが始めてなら、なぜそのような判断をくだしたのか、順に説明するのだが、もう数えきれないほど、同じ問答を繰り返している。

さらにいえば、私の中で、お客様は平等ではない。BtoB(企業間取引)ではなおのこと。

会社にとって、年10万円の取引先と、年5000万の取引先では、対応に違いがあって当然だ。もちろん、何でも答えるわけではないが、そこは持ちつ持たれつである。

一番の問題は、「本気でそう思ってない」のに発言していることだ。ようは自分の中で正義を作り、上司相手にマウントをとって、気持ちよくなりたいだけなのだ。

「じゃあ、断って契約切られたらどうするの?」と聞くと、「それは私が考えることですか?」と答える。オーイエス。重要なのはそこなんだけど。

セイギマンの言っているのは「正論」だ。そして、正論ほど、簡単なものはない。

何故なら、正しいことは、だれでも分かるからだ。そのように、これまでの人生で、誰もが教育を受けたからだ。

資本主義社会とは、原則競争だ。ある部分で勝ち、ある部分で負ける。人生とはその繰り返しで良いのだと思う。

だが、企業は、その競争に勝ち越さなくてはならない。営利団体であり、社員に利益を分配しないといけない存在だからだ。企業の成功とは、正論を超えることにあると、私は思う。

正論は何も生まない。もしその理想が自分にとって、本当に実現したいことならば、ただ正義を叫ぶだけでなく、感情が動くような行動を起こしてほしい。

という正論を吐いて、今日は終わりにしたいと思う。