自分が守りたいのは、「仕事ができる側の人間」という立場だと気づいた

会社やめるまでの軌跡

誰しも、10年以上勤めた会社を辞めるには、それなりの理由がある。 私の場合、それが「独立」だった。

で終わると綺麗なのだが、少々掘り下げてみると、そのようにカッコいい理由が根底ではないことに気づいた。

「独立したい」が確かに理由ではあるのだが、ではなぜ独立したいのか、というと、

「優秀な人に、自分の仕事をほめてもらいたい」

これが理由だと気づいた。ちなみに「優秀な人に」という所がミソである。「仕事に対して本気の人」と、言い換えてもいいかもしれない。

よく、あまり謙遜しない方がいいと言われるが、そうではない。「分かっている人」に、自分の仕事をほめてほしいのだ。ただの、ほめて、ほめて、という承認欲求ではない。たぶん。

私自身、田舎の中小企業とはいえ、30代前半から一つのセクションのトップだったので、多少は仕事ができる人間だろう、という自負はある。

しかし、そんな小さな自信は、ひとたび仕事の視野を広げれば、脆く崩れ去れる。田舎にはいない優秀な人間が、東京には、世界には、山ほどいる。

私自身も、東京の広告代理店や、WEBマーケティング会社と仕事をして、自分よりも遥かに知識があり、能力が高く、何といっても、「本気度が違う」という人間に、山ほど出会った。

そして、そういうレベルの高い人たちと仕事をして、仕事が楽しい、と初めて感じた。常に新しい知識を得て、自分の成長を日々感じられるからだ。

そして、一番嬉しいことは、その優秀な人たちに、自分の仕事を認められることだ。それが何より充足感を得られる瞬間だった。

残念ながら、それは今の会社では得られない。

自分の仕事を褒めてもらえることがあっても、殆ど内容を理解できていない人からの評価なので、嬉しくないのだ。
「違う。それは全然大したことじゃない。見て欲しいのはそこじゃないんだ」
という思いばかりだった。

それだけならまだしも、周りの環境が劣悪だった。

上司が決めたシフトを無断で変更する人、会社や他人の批判しかしない人、何も努力しないのに、他人に責任ばかり強制する人。もはや組織として機能していない。そんな会社だった。(’まだ在籍しているが)

そして、私も今は評価されているが、この環境に居続ければ、やがて、世間から見たら「仕事ができない人間」になってしまうだろう。そう確信が芽生えた。 朱に交われたば、赤くなるという奴である。

偉そうにいえば、私は、常に「仕事ができる側」の人間でありたい。言葉を変えていうなら、思考停止してコントロールされる側にはいたくない。そして、優秀な人に認められる仕事をして、充実感を得る。 これが私の求める仕事観なのだと、今更気づいた。

最初は少しエゴっぽいかと思ったが、こう書き出してみると、意外とサラリーマンとしては、普通の願いなように感じた。

自分を客観視した願望への深堀り。たまにはしてみるのもアリである。