あの時。父の助けに耳を傾けなければ、今、父はいない。

人生観・仕事観

観測史上最大規模、と言われた台風19号が過ぎ去った。残した爪痕は甚大のようだ。

私は非常に災害の少ないド田舎に住んでおり、今回もちょっと風が強いな、程度で済んだが、関東や東北では、各地で浸水、土砂崩れの報道が相次いでいる。少しでも被害が広がらないよう祈るばかりだ。

私は神奈川に姉が住んでおり、先ほど、心配でLINEを送ったが、どうやら少し停電になった程度で済んだようだ。ホッと胸をなでおろす。

姉も父も、マグニチュード6の地震にあおうが、台風で屋根を飛ばされようが、「大変だったー」などと、わざわざ連絡してこない。おそらく、大抵の家族が、そうではないだろうか。

SNSで、大変でしたアピールをポンポンする人でも、意外と、実の家族にはあまり言わないのでないかと思う。それは、「家族に心配をかけたくない」という気持ちだろう。

だからこそ、その家族がわざわざ、「助け」のサインを出す時。それは、余程の事態が起きたのだと、確信し、即行動すべきと思っている。

なぜなら、そうすることが出来ていなければ、今、父はいないからだ。

あれは私が24歳の頃だった。

ブラック会社に2年半勤め、心身ともに疲れ果てた私は、実家へUターンした。母は亡くなっていたので、父と二人だった。父は無理せず休めと、言ってくれた。

それまでの反動か、毎日のように、酒を飲み、昼夜逆転の生活で、ひきこもってゲームをしていた。新作ゲームの攻略動画を上げ、2chでは神と崇められた。100万程度しかなかった貯金は、あっという間に底をついた。父は何も言わなかった。

そんなある日の深夜、階下の父から、かすかに呼ぶ声が聞こえた。本当に小さな声で、おそらくゲームをしていたら聞こえなかったかもしれない。たまたま、その時は漫画を読んでおり、耳がとらえた。

当時の私はかなりやさぐれており、「めんどくせーな」と思っていた。深夜だし、もう明日でいいだろ。とも思った。それでも、少しは罪悪感もあったのか、重い腰を上げ、父の部屋の扉を開けた。

父は、背中が痛いのでさすってくれといった。

まじかよ、そんなことで深夜に呼びつけるな、と思い、電気をつけ、息をのんだ。

父の顔は、滝のように汗が流れ、土気色をしていた。生まれて初めて、あんな顔色の人間を見た。

これは、ただごとではないと、すぐ救急車を呼んだ。

父は背中が痛いだけだから、余計なことをするな、と、土気色の顔のまま、わめいていた。無視した。

救急員に、家の近くに目印がないか聞かれた。田んぼと畑しかなかった。とにかく大通りまで来てくれ、そこから案内すると伝えた。

20分ほどして、救急車が到着した。簡易ベッドに乗せて運ぶ間に、父の意識がなくなった。

電気ショックを与えてよいか聞かれた。何度も首を縦に振った。父の体がはねた。

気付けば、病棟で医師の説明を受け、同意書にサインをしていた。心筋梗塞だった。

手術は無事に成功した。

父の心臓は、常人の半分以下の能力になり、ペースメーカーが不可欠となったが、生きている。

こうして、ブログを書き始める直前まで、楽しく酒を飲むこともできる。生きてこそだ。

だが、あの時、父のかすかなサインに動くことができなければ、今父はいない。本当に紙一重だった。

だから思う。もし、家族が助けのサインを発していたら、すぐ動いて欲しい。それは、余程のことなのだ。

勿論、そうでない家族もいる。それは人それぞれなので、それで良いだろう。

ただ、もしも家族に遠慮や、配慮という意味で、行動しない人がいたら、後悔はしないように、とりあえず動いて、その結果から、また考えればよいのではないか、と今回の台風を見て、改めて思った。