「結婚したくない気持ち」と、「誰かが結婚して寂しい気持ち」は矛盾しない

人生観・仕事観

僕たち(私たち)、結婚しました。

facebookやTwitterで,、この文面を見て、胸に何とも言えない虚無感が生まれた経験、ある程度の年齢以上であれば、誰もがお持ちだろう。

つい先ほども、とある知人の報告を聞いて、祝辞を述べたばかりだ。おめでとう、お幸せに。

胸に去来するのは、鈍痛よりも、本日の法事での一幕。テンプレ化した、親、親戚からの、結婚まだしないんですか、なぜしないんですか攻撃である。

アラフォーにもなると、もはや慣れ、その風程度にしか感じないが、とはいえ心地よい風でないことに、変わりはない。

反論すると面倒なので、いつもニコニコ笑顔でスルーしているが、私の健康のためにも、フラストレーションもはブログに吐き出しておくとする。特に、結婚推奨派の方には、お目汚しになると思うので、スルーしていただきたい。

まず、一つの誤解がある。

それは、「結婚したくない」気持ちと、「誰かが結婚して寂しい」気持ちは、別に矛盾しないということだ。

「寂しいなぁ」と言うと、

「ならあなたも結婚しなよ」

「何でしないの頑固だなぁ」

と言われる。

違うんですよ・・・。

私が寂しいのはね、「同志」が去ったことが寂しいんです。

(少なくとも結婚に関しては)自分と同じ価値観と思っていた人間が、そうではなかった。その事実が、少し寂しい。それだけなんです。孤独が寂しいとか、一人はもう嫌だな、とか、1ミクロンも思ってないんですよ。

そんな発言をしたら、私は親戚一同から、間違いなくサイコパス認定を受けるので、言いませんがね。

特に、アラフォーになると、同世代で結婚する人間は、大抵済んでいるので、年下の結婚を祝う機会が増える。

私は結婚は時代遅れのシステムであり、未婚者の増加は止まらないと思っているが、若く優秀な方が結婚したと聞くと、祝福すると同時に、「やはりそうでない方も多いのだな・・・」と、一抹の寂しさを覚える。

私はいつも、そういう気持ちでいるのだが、どうも、結婚推奨派の家族、親戚一同には理解してもらえないらしい。これまた寂しいことである。

中には、

「あなたは自分でそう思っているかもしれない」

「でも違うのよ。本当のあなたはそうじゃない」

など、どこぞのマルチ商法のようなことを言ってくる輩もいるが、大きなお世話である。

私は結婚推奨派の「結婚したら、どんな素晴らしいことがあるか」ということは、完全ではないにしても、30%くらいは理解しているつもりなのだが、否定派の気持ちは、5%も推奨派に通じている気がしない。不公平だ。

もっとも、これは「価値観の相違」という使い古された言葉で、全て方がつく。決着などない、まさに不毛な談義というやつだ。

私は今後も、誰か親しい人間が結婚した時、「寂しいなぁ」と呟くだろう。

これは同志が去ったことへの寂しさ、そして、価値観の違いが分かったことへのわずかなショック、それだけである。

強がりと取られるなら、それでもいいが、その理解にまた寂しさを覚える。

それも結局、多様性の証なのかもしれない。