「事故」で「事故」は減らせるのか

会社やめるまでの軌跡

大津の園児死亡事故に想う

憂鬱だ。

決して、社長にいたぶられたからではない。

確かに、先日、オリンピックの件でネタにしたことを、動物的直感で悟られれたのか、

やたらと今日は当たりが強かった。

ipad(私物)の充電が出来てないという理不尽な理由だったが、まぁ平常運転といえば平常運転だ。

しかし、正直、退職を決めてからというもの、以前は耐えられた怒りを抑えるのが、難しくなっている。

今日はあと少しで、目の前のA4用紙に「退職届」と書きなぐり、

「じゃ」

と、社長室を出ていくところだった。

しかし、所詮あと数か月の我慢と思い、耐え抜いた。

決して脳裏に、夏のボーナスがチラついたわけではない。

話を戻そう。

憂鬱なのは、大津の交通事故の件である。

先日、右折車と衝突した軽乗用車が園児の列に突っ込み、二人の命を奪う、という痛ましい事故が起きた。連日、その報道が続いている。

流石の私も、昨日、今日は、思う所があったのか、

朝、車で通勤する際、園児の姿が見えると、

無意識に時速10kmくらいに減速し、おそるおそる横を通ってしまった。

おびえた顔をしてないか、気になってしまったのだ。

正直、自分でも驚いている。

真正のクズを自認していたが、どうやら私にも数滴は、人の血が流れていたらしい。

あまりにドライな判断を下すことが多いので、一時はサイコパスでないか、本気で心配になり、関連書籍を数千円分とりよせたが、無駄に終わったようだ。

Amazonは返金に応じてくれると、経済的にとても助かる。

草の根も乾かぬうちに事故を起こす人たち

さて、私でもこのように思うくらいだから、さぞ多くの人が同じように感じただろう、少しは事故が減ると良いな、と願ったのだが、

本日の朝礼で、同僚がスピーチした内容によれば、

昨日の夕方、帰宅途中で、早速、大きな交通事故を見かけたらしい。

暗澹とした気持ちになった。

人は学習しない生き物であることは知っている。

単純にこれで事故が激減すると考えるほど、私も楽天家ではない。

昨日の今日ですよ?と、残念に思う。

だが、それだけで、何も変わっていないと決めつけるのも、また早計であると感じる。

連日の報道に意味はあるのか。答えは出ないが、それでいいと思う

痛ましい事故が起きると、連日、その悲しみが報道される。

もういいではないか、死んだひとは戻ってこない。

気が滅入るだけだからやめてくれ、という人もいる。

下世話な質問をするメディアに眉をひそめる人もいる。

たしかに頷くことが多い。

だが、意味はないのだろうか。

大きな事故が報道された後、交通事故が減るかどうか、きちんと検証された統計を、私は見たことがない。

既にあるのか、条件が難しく証明はされていないのか、それは知らない。

が、こうも思う。

たとえ、証明されていなくても、誤差の数件であったとしても、

柄にもなく、朝ノロノロ運転してしまった私のように、

事故のきっかけが、少しでも減らせていたら、

一つの意味はあるのではないかと。

被害者の親はそんなこと望んでない、という意見もあるかもしれない。

しかし、一番、意見を聞きたいのは、亡くなってしまった本人にである。

もちろん、それは不可能だし、最終的に全ての意見を鑑みて決めるのは、責任を持つ報道側の人間だが、

様々な見方、考え方が生まれる、ということ自体は、決して悪いことではない、と私は思っている。

さて、気を取り直し、退職届の続きを書こう。